平井先生の思い出(1) | 松野哲也の「がんは誰が治すのか」

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松野哲也の「がんは誰が治すのか」-平井先生

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平井先生の思い出(1)


 私がある財団法人の研究所に出入りしていたことはすでに触れました。
「ガンの治療薬」をつくろうとしても、自分の研究室でこれを行うことは管理者によって禁じられていたためです。

 この研究所をつくったのが肝臓ガン研究の権威である平井秀松先生でした。
遠視性乱視用のぶ厚いめがねをかけた無類の酒好きである古き良き時代の生化学者です。
 彼は戦後、スウェーデンのチセリウスが開発した電気泳動装置を日本で最初に作製し血液タンパク質の分析を行っていました。

 ガンを研究対象にしたのは1957、8年だそうです。
ガン細胞には正常細胞には存在しないガン特異のタンパク質があるに違いないと彼は考えました。
 つまりガン細胞・抽出液で動物を免疫し、得られた抗血清を正常細胞抽出液で吸収すれば、ガン・タンパク質とのみ反応する特異抗血清が得られるはずだ。この抗血清との反応を指標にそのタンパク質を追求したのです。
 そして彼は1960年にマウスのガン特異抗原をみつけNature誌に発表しました。
ガンを研究対象にして僅か2、3年後です。
 ソ連科学アカデミーのアベレフ教授がマウス肝臓ガンに発見したα―フェトプロテイン(AFP)の発表よりも3年前のことでした。

 ところが平井博士は上記タンパク質が“ガン特異的”であることに執着しきっていました。したがってこのタンパク質が他の正常組織に見だされることを無意識のうちに忌避していたのです。
 そして“このタンパク質はネズミ胎児には発見されなかった”という拭い去れぬ一行の文章を論文のうちに残してしまいました。
 同タンパク質は胎児の肝臓でつくられ、出産後その合成は停止します。しかし肝臓ガンになるとこのタンパク質の生合成が再開するのです。いってみればガン胎児性タンパク質の発見という大魚を釣り逃がしてしまったのでした。

 これにより、よく行われる血液の生化学検査の際、肝臓ガンのマーカーとなるα―フェトプロテイン(AFP)の発見者は発生学者のアベレフ博士ということになってしまいました。


 平井博士は、その後、上記タンパク質の精製にとりかかります。ところがその段階で異なった実験材料を用いたため、5年を費やした研究は悲劇のうちに終焉します。
 特異抗原はすり替わってしまい、なんとガン細胞に寄生するウサギ由来の原虫となってしまったのでした。


 しかし、平井先生はひるみませんでした。免疫学的な精製法を用いて、ヒトの胎盤や肝臓ガン患者血清から世界で初めてα―フェトプロテインを精製したのです。東大から北大に赴任したのは、ウマで多量の抗血清をつくるという点でまさにうってつけだったといえましょう。
 ヤキトリ屋台店で酔って意気投合した獣医学部教授が、学生実習で使う馬を使って免疫血清をつくることを請け負ってくれたのです。おまけに当夜の支払いも同店を巣とする教授もちだったそうです。平井先生は、エルムの学園、北大ならではと感激します。


 私が国際会議でアベレフ博士と会ったとき、話題が同タンパク質のことに及ぶと、彼は「私はドクター平井とはパラレル(並行的)に研究を進めてきました」と平井先生の功績を高く評価したのでした。