昨日は命日でした。

 

最後はすい臓の癌

 

あれから9年たったのだなぁ、、、と、、、 

 

母の人生は私が居たから、そう悪くはないと自負しております

 

 

 

 

昭和11年宮崎県の下の方で生まれ

7人兄弟の4番目

小学校2年生のときに足のケガにばい菌が入り膿がでていたそう

 

田舎というところなので

母親の母親、私からしたらおばあちゃんが

リヤカーに乗せ、ひと山越えた町の病院に行ったそうです

 

 

期間は知りませんが入院となり

その間、すき焼きやら

おばあちゃんが自分だけにご飯を作ってくれたことが嬉しかったようでした

 

 

この時代、入院に食事が付くことはなっかたのだ

 

 

母の右ふともも外側には15cmほど肉が無くへこんでいた

そのうえ

ずっと膝を伸ばしていたからだろう

膝が曲がらなくなっていた

 

今ならばしっかりリハビリとやらをするのだろう

 

戦時中ということもあるし、子供7人おばあちゃん1人で

畑をしながら育てるだけでもどんなにか大変だっただろうに

子供1人に手をかける余裕がどこにあろうか

 

 

 

終戦後、帰ってきた父親は「キサマ!キサマ!」とおかしくなっていたと

母から聞いたことがある

 

そんなこんなで、おじいちゃんとおばあちゃんは離婚をしたようで

母は中学校をでてから町のお饅頭屋さんで住み込みで働いていた

 

その饅頭屋さんのお嬢さんが羨ましかったとも言っていたなぁ

 

 

 

 

しばらくして

市長さんが身体障害者の人たちを学校に行かせて手に職を付ける取り組みをしたようで

母は都会の洋裁学校に行くこととなり

その土地で家庭をもち私が生まれたのでした