ホテルマンは3年で辞めました【52.ホテルマンの限界】 | SHOW-ROOM(やなだ しょういちの部屋)

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 ちなみに俺の母は「私は男側の親だから、相手の親御さんに従うわ」と言っていたが、内心はまだ若いので反対されると思っていたらしい。


「ウチのお父さん達も式に出席するって。」


2人だけで教会で式をあげる予定だったが、彼女の両親も出席するという事で、やはり俺も母に出席してもらう事となる。  


すると後日。


「ウチの親戚も出席するんだって。」


なんと、彼女の父親が都内にいる親戚に声をかけてしまい、結局は20人程の出席者になってしまい、ウチからも都内の親戚と青森から叔父や叔母も出席してもらう事となり、2人だけで結婚式をあげるつもりが総勢50人になってしまった。


そこで困ったのが予算。


2人だけでやるつもりで軽井沢の教会に申し込んだ時は交通費を入れても15万円位だった。


が、総勢50人に膨れ上がれば、教会に隣接する会場で披露宴もやる事となり、そうなれば出席者達の宿泊費も掛かってしまう。


祝福してくれるのだから嬉しいこと。


だが、金は無い。


俺は買ったばかりの車、セドリックを売ることにしたのだった。


知り合いの車屋さんに来てもらい、その場で査定してもらった額は150万円。


こうして金の心配は無くなり、無事に結婚式をあげる事が出来たのである。


 新居は横浜の青葉区、田園都市線の青葉台に。


駅からバス7分、歩くと30分はかかる場所だったが、2DKで家賃5万円。


木造2階建ての昔ながらの普通のアパートだ。


当時の若い2人、そして安月給のホテルマンに見合った物件だろう。


最初のうちは彼女は専業主婦となっていたが、そのうちにローンの返済がキツくなってきた。


そう、車は売ってもローンはまだ残っていたのだ。


結婚式や引越しで有り金は使い果たしてしまい、全く余裕の無い生活となっていたのである。


やはり、将来的にホテルマンはダメだなと、俺はそろそろホテルを辞めようと考え始めた。


嫁さんがスーパーでレジ打ちをやりたいと言ってくれたので、近所のスーパーでパートをするようになったが、自分の将来はこんなものではないという強い思いが込み上げてくる。


現状はカツカツで、ローンの返済も遅れがちになっている。


そんな時、あの大谷さんから電話が。


HホテルのBARでバイトをしていた早稲田大学の、社員より頼りになっていた俺の師匠だ。


そんな人から久々の電話である。


〜つづく〜



📕向上心のある人は読まないでください📕