ホテルマンは3年で辞めました【13.事件】 | SHOW-ROOM(やなだ しょういちの部屋)

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 中途入社の野口はウエイターが向いているのか、客に対しての作り笑い、いや、自然に浮かべる笑顔が様になっている。


俺にはあんな笑顔は出せないのでは?


同級生達の近況を聞けば、新高輪のPホテルに行った連中でフロント志望のやつは最初からベルボーイをしているどころか、品川のPホテルに行った2人は最初からフロントに就いているというではないか!


KプラザもZホテル、横浜Nホテルもフロント志望の同級生は皆ベルボーイをしているのだ。


俺は焦って選択を間違えたか?


毎日を惰性で過ごして3ヶ月、客と武田さんをはじめとした先輩達に気を使う毎日で見る見るげっそりと痩せていた。


そんな俺の気持ちをよそに、裏で休憩中の野口の笑い声が聞こえる。


覗いてみれば、あの武田さんとふざけているではないか。

 

武田さんも楽しそうに笑っている。


あの理不尽に厳しい武田さんが、座っている椅子を野口にグルグル回され、「クイズ、ターイムショック!」と言われ爆笑していたのだ。


いい奴が入って来た。


そういえば、ここ最近は俺に対してもうるさい事は言わなくなっている。


野口が入って来たことで、武田さんがタバコを加えたら火を点けるのは野口になったし、これまで俺がやっていた下っ端の仕事も殆どが野口に引き継いでいた。


入社式からまだ3ヶ月しか経っていないのに、俺は早くも奴隷から解放された気分だった。


 そんな時に思わぬ事件が起きる。


俺がカウンターの前にたまたま立っていた時、カップルのお客様を丸山マネージャーが俺の目の前の席まで案内して来た。


マネージャーは女性の椅子を引いたが、男性の椅子を引くスタッフが近くに誰もいなかったので、咄嗟に俺が椅子を引いて男性客を座らせると、マネージャーはメニューを置いてエントランスに戻って行った。


ごく普通のワンシーンだ。


と、次の瞬間、顔面を怒りで引きつらせた稲垣さんが俺にガツガツと近寄って来るなり、「ヤナダ、ちょっといいか!」と、裏へ呼ばれたのだ。


何だろうとついて行くと、裏に入るなり「お前はまだあんなことしなくていい!しないでくれ!」


かなり強い、怒り狂ったような口調でそう言った稲垣さんはバタバタとホールに戻って行ったが、

俺は意味がわからずただぽかーんと数秒立ちすくんでいた。


その後、冷静になって考えてみると、俺はまだバスボーイの立場なのだから、客をエスコートするのはまだ早いという事なのだろう。


ウエイターの新入社員は、まずバスボーイというタイトルで、客が帰った後のテーブルの片付けや灰皿の補充、中華や和食、パティスリーなど2階のキッチンへオーダーを取りに行くのが主な仕事で、制服はネクタイ無しの詰め襟だ。


その上にアシスタントウエイター、ウエイター、キャプテンウエイター、アシスタントマネージャー、ヘッドウエイターと、マネージャーになるまで6種類のタイトルがあり、アシスタントウエイターからはワイシャツに蝶ネクタイ、それに丈の短いモンキーコートが制服となる。


それがキャプテンウエイターからヘッドウエイターまでがブレザー、マネージャーになると黒いタキシードが制服となっているのだ。


この時の俺は詰め襟の制服を着たバスボーイ。


接客、エスコートをするなんてとんでもない。


生意気なことはするんじゃねえ!


と、これが稲垣さんの考えなのだろう。


だが、いくらバスボーイといえども、目の前の客の椅子を引くスタッフがいなかったのだから、自然に身体が動くだろう。


それがサービス業というものではないのか?


俺は絶対に間違っていない!


マネージャーだって、俺の行動を見ていて何も言わず去って行ったのだから。


自分の正当さを確信すると、次第にメラメラと怒りが込み上げて来た。


稲垣の野郎・・・。


俺はホールに戻ると、すぐに自分の思いのままの指示を野口やアルバイトらに伝えたのだった。


〜つづく〜