19歳の時、当時はまだ小田急のホテルだったセンチュリーハイアットで1ヶ月研修をした。
配属はレストラン。
今は無き、テラスレストラン「カテリーナ」。
フロント希望なのに、研修とはいえレストランに配属されたのは憂鬱だった。
だけど、社員の方々やアルバイトの方々、みんな凄くいい人ばかりで職場の雰囲気も最高だった。
1年後、俺が就職したのは、その隣りのホテルだった。
セーチュリーは凄く良いホテルだと分かっていたけど、そこに就職するとフロントには行けそうな気がしなかったので受けなかった。
結果的に、就職した外資系ホテルでの配属は、フロントの下積みセクションのハウスキーピングでもベルボーイでもなく、ホテル内でも最悪の人間関係と言われていたBARだった。
前日までフロントの制服を着て、レセプションデスクで3ヶ月アルバイトをしていただけに、辞令を見た瞬間から地獄のような日々が始まった。
噂通りの最悪な空気の職場。
軍隊並みの上下関係。
野球部時代の数倍は厳しいそれは、新入社員が半年以上続いた事が無いというのも納得した。
夕方出勤するとまずは人事課に行き、フロント部門の方にトランスファーさせて欲しいと毎日のように訴えていた。
だが、先輩達が言っていた通り、このホテルは最初にF&B(フード&ビバレッジ)部門に配属されると、絶対フロント部門には行けないということだった。
受ける前に言えよ!と、思った。
が、職場の空気を悪くしていたガン的な先輩2人を持ち前の見えない力?で退職に追い込み、俺の後に入って来た中途入社の者や新入社員も半年過ぎても辞めることなく、悪い雰囲気の職場ではなくなった。
BARには2年弱勤務していたが、基本的には学生時代の研修が大いに役立ったというか、センチュリーハイハットのスタッフから学んだことが、未だにどんな職種に就いても役だっている。
一例だけ挙げるなら、どんなに忙しくても部下に指示を出す時は早口にならず、敢えてゆっくりした口調で伝えるということ。
人の上に立っている者まで忙しい雰囲気に呑まれ、バタバタガチャガチャしてしまう様ほどみっともないモノはない。
若いうちに学んだこと、見本となる上司や先輩との出会いは一生の財産になるものだと、満開の桜を眺めながらふと、そんなことを思っているのだった。
📕元ホテルマンが書いた小説📕