が、体質的に太れないし肩も弱かった。
遂には高校1年生の夏休み明けには、右の上腕部から肩にかけて痛くて投げれなくなりました。
ボールが鉛のように重く感じ、秋からは殆ど外野を走っていただけ。
3年生が引退し、俺がもらった背番号は11。
これを機に、冬休み明けに退部することを決めました。
背番号に不満だったわけではありません。
その逆です。
当時、ひとつ年上の荒木大輔さんが早稲田実業で同じ11番だったんです。
後にヤクルトのエースとなった人ですよ。
当然、早実の2年生から注目されていたスター選手でした。
年下の俺が1年生からそのような人と同じ背番号なんて、うちの学校のレベルが分かりますよね。
だから甲子園なんて無理だろうし、俺の肩ももうダメっぽかったので夢を諦めました。
それから1年位は悩みましたね。
子供の頃から描いていた将来の夢を自ら無くしたんですから。
でも、出来たんです。
高校2年生の終わりに、新たな夢が。
それがホテルのフロントマンなんです。
そうと決まれば即、進路決定です。
親や親族の反対を押し切り、大学進学をやめてホテルの専門学校へ行きました。
勉強嫌いだし、男なら六大学以外は進学しても意味が無いと思ったので。
俺の場合、推薦で二流大学しか行けないのは自分で認めてたしね。
結果、専門学校に進学し、あっという間に就活シーズンに突入。
周りがバタバタと求人を見に行ったり、プリンスだヒルトン、帝国だと、試験を受けに行ってる中、なぜだか俺は呑気にまだ求人さえ見に行ってなかったのです。
で、遅れること数週間かな、重い腰を上げて求人とやらを見に行き、そこそこ大きなホテルが目にとまったので、そこを受けさせてもらうように担当の先生に言いました。
今思えば、愚かでした。
ナメてましたね。
就職というものを。
まず、ホテルマンというのは基本の髪型があります。
ストレートの七三分けかオールバックでなければならないんですが、俺は就職試験当日に普段のままのリーゼントパーマで面接を受けたんです。
更には、筆記試験の一般常識もイマイチ。
結果は当たり前のように落ちました。
焦りましたよ、この時やっと。
次に求人を見に行くと、もうシティーホテルといわれる大きなホテルが残っていない。
非常に焦って、担当の先生のところに飛んで行きました。
「先生、もうデカいホテル残ってないんですか!?」
「○○○○ホテルの5次募集があるけど、受けてみるか?」
あった!良かった~!それは誰もが知っているであろう外資系のホテルでした。
「受けます!お願いします!」
「お前、英語大丈夫か?筆記試験は英訳と和訳しかないぞ。」
「ま、まあ、大丈夫です。」
一般常識が無くて、英語だけなら気が楽な気がした。
「じゃあ待ってろ。」
そう言うと、ナント!その場で○○○○ホテルに電話してしまいました。
「もしもし、明後日の試験うちからもう1人お願いします。」
あ、明後日?
マジか?
「じゃ、頑張って来い!」
「あ、明後日ですか?」
「そうだ、頑張って行って来い。」
「はぃ~。」
この時、1ヶ月前の事が頭をよぎった。
ホテルでいちばん最初に試験があったのが、プリンスホテルとこの○○○○ホテルで、男子の場合プリンスを受けた者は全員受かったのだが、○○○○ホテルは半数は落ちていたのだ。
さてさて、どうなったかはまた次回の記事に。