ホテルマン時代の話その1。 | SHOW-ROOM(やなだ しょういちの部屋)

SHOW-ROOM(やなだ しょういちの部屋)

芸能事務所の実録長編小説「夢に向かって!」その為短編2冊が電子書籍にて絶賛発売中!
https://bookwalker.jp/search/?qcat=&word=%E7%B0%97%E7%94%B0%E5%8B%9D%E4%B8%80&x=0&y=0

俺は小学校3年生から高校1年生の夏まで、マジでプロ野球選手になるのが夢でした。

が、体質的に太れないし肩も弱かった。

遂には高校1年生の夏休み明けには、右の上腕部から肩にかけて痛くて投げれなくなりました。

ボールが鉛のように重く感じ、秋からは殆ど外野を走っていただけ。

3年生が引退し、俺がもらった背番号は11。

これを機に、冬休み明けに退部することを決めました。

背番号に不満だったわけではありません。

その逆です。

当時、ひとつ年上の荒木大輔さんが早稲田実業で同じ11番だったんです。

後にヤクルトのエースとなった人ですよ。

当然、早実の2年生から注目されていたスター選手でした。

年下の俺が1年生からそのような人と同じ背番号なんて、うちの学校のレベルが分かりますよね。

だから甲子園なんて無理だろうし、俺の肩ももうダメっぽかったので夢を諦めました。

それから1年位は悩みましたね。

子供の頃から描いていた将来の夢を自ら無くしたんですから。

でも、出来たんです。

高校2年生の終わりに、新たな夢が。

それがホテルのフロントマンなんです。

そうと決まれば即、進路決定です。

親や親族の反対を押し切り、大学進学をやめてホテルの専門学校へ行きました。

勉強嫌いだし、男なら六大学以外は進学しても意味が無いと思ったので。

俺の場合、推薦で二流大学しか行けないのは自分で認めてたしね。

結果、専門学校に進学し、あっという間に就活シーズンに突入。

周りがバタバタと求人を見に行ったり、プリンスだヒルトン、帝国だと、試験を受けに行ってる中、なぜだか俺は呑気にまだ求人さえ見に行ってなかったのです。

で、遅れること数週間かな、重い腰を上げて求人とやらを見に行き、そこそこ大きなホテルが目にとまったので、そこを受けさせてもらうように担当の先生に言いました。

今思えば、愚かでした。

ナメてましたね。

就職というものを。

まず、ホテルマンというのは基本の髪型があります。

ストレートの七三分けかオールバックでなければならないんですが、俺は就職試験当日に普段のままのリーゼントパーマで面接を受けたんです。

更には、筆記試験の一般常識もイマイチ。

結果は当たり前のように落ちました。

焦りましたよ、この時やっと。

次に求人を見に行くと、もうシティーホテルといわれる大きなホテルが残っていない。

非常に焦って、担当の先生のところに飛んで行きました。

「先生、もうデカいホテル残ってないんですか!?」

「○○○○ホテルの5次募集があるけど、受けてみるか?」

あった!良かった~!それは誰もが知っているであろう外資系のホテルでした。

「受けます!お願いします!」

「お前、英語大丈夫か?筆記試験は英訳と和訳しかないぞ。」

「ま、まあ、大丈夫です。」

一般常識が無くて、英語だけなら気が楽な気がした。

「じゃあ待ってろ。」

そう言うと、ナント!その場で○○○○ホテルに電話してしまいました。

「もしもし、明後日の試験うちからもう1人お願いします。」

あ、明後日?

マジか?

「じゃ、頑張って来い!」

「あ、明後日ですか?」

「そうだ、頑張って行って来い。」

「はぃ~。」

この時、1ヶ月前の事が頭をよぎった。

ホテルでいちばん最初に試験があったのが、プリンスホテルとこの○○○○ホテルで、男子の場合プリンスを受けた者は全員受かったのだが、○○○○ホテルは半数は落ちていたのだ。

さてさて、どうなったかはまた次回の記事に。