H.R.ヤウスの『挑発としての文学史』の感想 ~前編~ | R.Gallagherの世界一面白いブログ!!

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※SNSを再開した2012年の春頃に書いた文章です。


今日は。


今回の『読書日記』では、
H.R.ヤウスの『挑発としての文学史』について論じたいと思います。

この本を読んだきっかけも、
友人リンクをさせて頂いている方の日記の中に名前が挙がっていて、ふと面白そうだなと思ったからです。

「文学史」に関しては僕には苦い思い出があります。

そんな過去があった事すらつい最近まですっかり忘れていたのですが、
こんな僕にも大学時代のかなり早くから大学院進学も志していた時期が有りまして(受験勉強を放棄して歌詞作りに耽った為に滑り止めの大学((ジャックスと云う日本のバンドのほとんどのメンバーの出身校だった事が、和光に決めた理由でした))しか受からなかったのに、いざ入学してみたら勉強の楽しさを再確認してしまったのと、一番の夢であるプロのシンガーソングライターになれなかった時の事を考えてモラトリアムの延長を図っておきたかったのと、かなりぶっちゃけた話、結局はある程度の社会的なステータスが欲しくなった等、理由は色々です)、
結果的には統合失調症になって家族以外のあらゆる人間関係が崩壊してしまって、ジョイスの短編小説(これを卒論のテーマに選んだのはまだ病気が発症する前の三年生の終わり頃だったのですが、当時はアイルランド文学と日本近代文学の両方のゼミを履修していたので、最初は太宰治の『斜陽』について書こうかなと思っていたのです。しかしながら某私立大学大学院に進学された二学年上の先輩に勧められていた東京大学大学院の表象文化論コース((正しくは、超域文化科学専攻))を狙うなら、その題材はちょっと弱いと云う社会学や現代思想を専門にされている副査の先生のアドヴァイスを素直に聞き入れて、格好の付くジョイスの小説を卒論のテーマに選んだ次第です。……当時の僕は、より良い歌詞や小説を書けるようになる為の糧になりそうなものだったら何でもいいから勉強したいと云うスタンスだったので、そんな自分自身の「学問」に対する姿勢に疑問を持つ事も無かったのですが、この種の態度はアカデミックの世界では軽薄に映るようで絶対に嫌われますので、間違っても真似をなさらないようにお願い申し上げます)に関する適当な卒論を書いて逃げる様に大学を卒業して、期せずしてフリーターになってしまって、
図書館通いの鬼になった末に導いた結論として、消化不良のまま卒業したのに再度別の先生の下でジョイスを軸としたアイルランド文学や英文学について勉強するのは気が引けるしハードルも高過ぎるように感じたのと、漱石研究を専門にされている小森陽一先生や石原千秋先生がお書きになった『読むための理論―文学・思想・批評』の中で紹介されているロラン・バルトの「テクスト論」にかなり強く興味を惹かれたので、成城大学大学院で石原千秋先生の下で漱石について学ぼうと心に決めたのですが、僕にとっては皮肉にもその2003年に、石原先生は早稲田大学に異動されてしまっていたのです。

その事実を知ったのが早稲田大学大学院試験日前の一ヶ月を切った八月の時点だったので、それまでに多少は日本の文学史に関する本をチェックはしていたものの、僅かばかりの準備では当然間に合わず、当たり前のように不合格となってしまいました。

その流れで今度は確実に受かりそうな(要するに、英和辞典の持ち込みが可だった訳です)法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻を2004年2月に受験した訳ですが、



。。。



これでも自信があっただけに、
筆記試験は見事に受かったのです。



。。。



問題は二次面接試験でした。



卒論の中にその主題だったジョイスの『痛ましい事件』(『ダブリン市民』所収)と、漱石の『それから』を「姦通小説」と云う観点から比較して論じた箇所がある事を説明していた際に、
一人の面接官の先生に「代助の純粋さに惚れた訳ですね」と云う早とちりを呑気な口調で言われて、
何故かイラッと来てしまって(多分、今にして思えば、「不倫」をした代助が何故にそんなにも脳天気に「純粋」だと言い切れるのかに、その種の問題意識と倫理観の薄さに、軽い違和感を憶えたのでしょう)、
「え?『純粋』なものなんてあるんですか?」と不用意に応じてしまって、
その瞬間、その場が凍り付いてしまったのです。

そして件の「文学史」の話になる訳ですが、
この大学院に合格したら何をやりたいのか的な事を訊かれた僕は、もうその時点で半分ぐらいは戦意を喪失していたのですが、
ついうっかり、常々感じてはいたものの、その根拠を明確に用意は出来ていなかった事を口走ってしまったのです。
「太宰治と安岡章太郎の間に近代文学と現代文学の境界がある様な気がするので、その辺も突き詰めてみたいです」的な事を僕が言うと、例の教官が憤慨した口調で、
「現代文学?何だ君は、不勉強な。現代文学なんてものはもっと前からとっくの昔に始まっているよ」と僕のよく知らない二、三人の戦前の作家の名前を挙げて拙い僕の主張を斬って捨てました。

それで心が折れた僕は、第一志望はミュージシャンだった事やフリーターになってから石原千秋先生や小森陽一先生の本を読ませて頂いて日本近代文学を専攻したいと思うようになった事等も次々と白状させられて、それらの事を完全に馬鹿にされて、ついには「君は卒論の中でやれ姦通、姦通と騒いでいたが、そもそも『不倫』なんて云うもの自体が無いんだよ」などと言い出す先生まで現れる始末で、もうこれ以上は何を話してもこの人達とは分かり合えないなと感じ、
最後の「この受験以外に何か就職や進学等のための活動をこの冬に行いましたか?」的な質問にも、
完全にふて腐れた態度で、
「もういい、もういい」と逆に言わんばかりに「何もしてないです」とだけ不遜に答えた結果、
翌日には、案の定、不合格となってしまいました。



。。。



それでも当時の僕は、今よりは身も心もフットワークがずっと軽かったのでその結果を踏まえた上でも前向きでした。
「あ、そう。上等だよ。それならそれでやっぱり『最高学府』に行ってやるよ。東大の大学院で、柴田元幸先生の下で、レイモンド・カーヴァーについて勉強してやるよ」とスパッと気持ちを切り替えて(受験勉強用にタワーレコード渋谷店で偶然見付けて買ったレイモンド・カーヴァーの原書の短編傑作選が、平易な文章なのに独特なテンポやリズムがあって、想像していた以上に面白かったのを思い出したのです)、そうなると第二外国語を勉強する必要も出て来るのですが、大学時代に第一外国語として学んだドイツ語(受講人数が異様に少なかった上に講師のチェコ人の先生が優しかったお陰で単位に恵まれただけで、それほど深く勉強出来ていた訳ではないのです)ではなく、ジャック・デリダやロラン・バルトも合格後にすぐに原文で読めるようにと、フランス語を勉強する為に飯田橋にある日仏学院にその年の四月から通い始めたのですが、
ちょうどその時期に脳梗塞で入院していた祖母が七月に退院して云々等の「家庭の事情」により大学院進学が困難となってしまったので、意外とスッパリ諦めて、やっぱりミュージシャンか小説家になる為の自己実現をのんびりと図ろうとバイト先だった当時の実家の近所のコンビニの雇われ店長になったのです。

ただし日仏学院には、その翌年の2005年6月まで通い続けました。

ジャック・デリダやロラン・バルトを軸として西洋哲学を専門に研究されており、現在は慶應義塾大学で教鞭を執られている荒金直人先生の日本語主体によるデリダ入門の授業がその時期まで開講されていたからです。

荒金先生にも、一緒に受講させて頂いた方々にもとても親切にして頂いて、
時には勤務先のコンビニのノルマだった『母の日ギフト』等の個人的な用件にまで御協力して頂いた方々までいらっしゃるのに、
2007年末の統合失調症再発以来、
ずっと不義理が続いている状態なのは我ながら情けない限りです。

その間お手紙を頂いた方もいらっしゃるのに結果的に無視したかたちになってしまった事も、
本当に申し訳無く思っています。
いつか社会復帰が出来て、
自分名義の携帯電話が復活したら、必ず恩返しをさせて頂く事を、
この場をお借りして、
お誓い申し上げます。



。。。



と云う訳で大分話が脱線してしまいましたが(不謹慎かも知れませんが、イタい自分の過去をあれこれと綴ってみるのも、それはそれで意外に楽しいものだったので……。今後はこの種の身の上話ではなく、以前からも申し上げている様にもっとエッジの効いた文章が書けるように心掛けたいと思います)、
そんな「文学史」に関する恥ずかしい因縁があると云う理由でこの本を読み始めた次第です。