音楽談義vol.37 | R.Gallagherの世界一面白いブログ!!

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今晩は。

各SNSでめちゃめちゃ大口を叩いている元ミュージシャンの或る人の昔の音源をYouTubeで確認してみたんですけど、

「典型的なコテコテの80年代の売れないアメリカのバンドの音」って感じで逆に衝撃を受けました。

僕がその言動から、「まあ、これぐらいのレヴェルかなあ?」と予測していた次元よりも、

それを更に大幅に下回っていたので、ビックリしました。

何より、一組のバンドのサウンドとしての一体感が無く、

各パートの音の重なりがチクハグで、

とても自称プロ級の腕前には達していなくて失望しました。

やっぱり「曲」と言うものは、

ギターやピアノの弾き語りだけでも成立する域には達していないと駄目ですよね。

さて、普通はオリジナル曲を作るバンドの場合は、

その役割分担は大まかに3パターンに分類されます。

一つ目は、ノエル・ギャラガーのオアシスやポール・ウェラーのジャムやリー・メイヴァースのラーズやジュリアン・カサブランカスのストロークスの様に明確なリーダーが作詞作曲を手掛けて、その素材をバンドでアレンジするパターン。

二つ目は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーのビートルズや、ミック・ジャガーとキース・リチャーズのローリング・ストーンズや、モリッシーとジョニー・マーのスミスや、イアン・ブラウンとジョン・スクワイアのストーン・ローゼズや、ブレット・アンダーソンとバーナード・バトラーのスウェードや、デーモン・アルバーンとグレアム・コクソンのブラーの様に、作詞作曲を手掛けるコンビがバンド内にいるパターン。

三つ目は、スタジオでセッションを重ねて曲を作って行くバンド(註・この場合もギタリストがリーダーシップを発揮してヴォーカリストが作詞を手掛けるパターンが多いですが)。

僕が学生時代に組んでいたウォームガンと言うバンドは二つ目のパターンの典型例でした。

要するに、ギタリストが曲を作り、僕が歌詞を乗せると言うバンドです。

1997年の『ロッキング・オン』の6月号(表紙が当時の新譜が大傑作だったシャーラタンズではなくて、ポール・マッカートニーで強く失望したのを今でも鮮明に憶えています)のインタヴュー記事でも「ジョンと曲を作る時間は女の子とセックスをしている時の様に気持ち良かった」とポール・マッカートニーが述懐していましたが、

実際にこれだと決めた相手とバンドを組んで曲を作るプロセスと言うものは、

本当に好きな女の子とセックスをしている時の様に気持ちが良くまた、精神的な歓びも大きいのです。

だからこそ、その形態のバンドが上記の様に一番成功例も多いのでしょう。

しかし、その種の関係はいずれは終わりを迎える場合が多いのも実際のところです。

その理由としては、先ずは方向性の違い。

そしてまた、その相棒が居なくても独りで音楽を続けたくなった場合。

身勝手な話ですが、

本来ならリアム・ギャラガーの様にも歌えるノエル・ギャラガーになりたかったこの僕がバンドを組んだのも、

取り敢えずその時点では作詞しか出来なかったからと言うのも大きかったです。

片や相棒のギタリストは、
ニルヴァーナのカート・コバーンやマイブラやブランキー・ジェット・シティーのベンジーに憧れていました。

その目指す方向性の違いは、

別々にでも曲を書ける様になった時点で明確になりました。

洋楽ロックの歌詞の歴史の流れを意識しつつ、

ミッシェル・ガン・エレファントやブリグリの歌詞にも感化され始めて、

結果的にノエル・ギャラガーとフィオナ・アップルを足して3で割った様な曲を書き始めた当時の僕は、

明らかにベンジーからの影響が窺えるロマンティックな歌詞のそのギタリストが書いた曲を聴いた時、
「これは俺には歌えねえな」と思ってしまいましたし、
多少は音痴なせいでその曲を身体に染み込ませる為に練習をするのが億劫だったのも事実です。

それで2001年の夏休みにバンドの他のメンバーが各自で旅行に出てしまった間に、

“真実?”(てゆうかぶっちゃけこの曲、武田玲奈さんのCDデビュー曲に如何でしょうか?それなりに自信が有るんですけど)とそれに続く佳曲を次々と書き始めた僕は、

ストロークスの衝撃のデビューに起因する危機感も相俟って、

もう、ソロのシンガーソングライターを目指したいなと思ってしまいましたし、

実際にそれを実行に移しました。

その後は、解散後もドラマー(ストーン・ローゼズのレニとジョン・ボーナムを掛け合わせた様な生まれ持ったセンスを有する天才肌のドラマーでした)とスタジオに入ったり、

ギタリストにベースを持って貰ってスタジオに入ったりもしたのですが、

翌年の6月に心身のバランスを崩して家族以外の全ての人間関係から離脱したので、

その後は当時の友人とは全員、

音信不通になってしまいました。

ただ、バンドを解散した事自体は今でも全く後悔していません。

やっぱり一度自分で曲を書ける様になると、

他のメンバーが書いた曲を歌う事にはフラストレーションを抱きますし、

折角、ストーン・ローゼズの様に民主的ながらも創造的なバンドを目指して組んだのに、

相棒のギタリストに今後は俺の書いた曲だけにさせてくれとは言えませんでしたから。

(それにまた、ウォームガンでの初めてのライヴの時でさえも、

ギタリストと書いた曲をバンドでプレイしている時よりも、

拙いながらも独りで書いた曲をセミアコで立って弾き語りをしている時の方が、

「こいつは最高だ」と言う快感が大きかったのも事実です。

エレキで弾き語りなんてと冷笑う人もいるかも知れませんが、

1997年のチベタン・フリーダム・コンサートでノエル・ギャラガーが他のメンバー抜きでステージで独りでプレイしたのを知っていて、

その写真を見た事も有ったので、

それを意識してチャレンジしました)

その後はプロにはなれないままでいますが、

その時その時の自分の気持ちに正直にプロのシンガーソングライターの卵として曲を書ける時にだけ書くと言う生活は、

はっきり言って最高です。

正直、コンビニの店長と言う名の実質的にはフリーター時代には煩わしい事も多かったですが、

会社員として公私の区別がはっきり出来る今の生活には不満は有りません。

ただ、やっぱりミュンヘンに移住してプロのシンガーソングライターとして音楽に専念出来る生活を送りたいと言うのも本音ではあります。

しかし、それでも、ノエル・ギャラガーやバーナード・バトラー、エドガー・ジョーンズやザック・スターキーとスーパーバンドを組めないなら、

この願いも中途半端に叶わなくても良いやぐらいに思っています。

この俺がそのステージに立つなら、

それぐらいのお膳立てはしてくれなくちゃと思っています。

その程度には、

YouTubeに上げている自分の曲に誇りを持ってもいるのです。

最後までお読みになって下さいまして、
本当に有り難うございます。

今後とも宜しくお願い致します。

それではまた、
次回の日記にて!!


【恒例附記】

僕がノエル・ギャラガーにスカウトをされて、
プロのシンガーソングライターになれた場合の作品の構想は以下の通りです。


ソロ名義一作目:『モノローグス』
サンクチュアリーの一作目:『The Greatest Hits』

DISC1

1.First Words
2.Morning Light
3.黒いカーディガン
4.振り返ったら悲しくなるから
5.空の下で
6.美しい花
7.輝くために
8.影も視えなくて
9.冷たい女
10.償い
11.命綱
12.空を見上げただけだった
13.どんなことにも
14.奪還
15.生きて行くこと
16.不確かな予感
17.命綱(ストリングス・ヴァージョン)

DISC2

1.愛して下さい
2.ペルソナ
3.Crazy Love Melody
4.死に損ない
5.レクイエム
6.真実?
7.No More Dream
8.奏でるべきもの
9.ランドスケープ
10.ソング・オブ・ヴェスパ
11.光が射して
12.日溜まり
13.未来
14.永遠
15.ずっとそばに
16.オプティミスティック


サンクチュアリーの二作目:『シュトゥルムドゥラング』

1.ディスクール.1
2.ディスクール.2
3.フライング・アウェイ
4.スタンディング・アローン
5.シュトゥルムドゥラング
6.ジークフリート
7.汚れた指
8.リフレイン
9.恋は止められない
10.君のせいじゃない
11.ボタン
12.イマジネーション
13.虚勢
14.激情


サンクチュアリーの三作目:『トゥモロー・モーニング、(アイル・ハヴ・ア・フィーリング)ロスト・フォーエヴァー)』

1.ありがとう
2.流れの中に
3.君を想って
4.ピュア
5.オーヴァーグラウンド
6.ブラックホール
7.イヴェント・ホライズン
8.ユニヴァース
9.青の座椅子
10.朝顔
11.昼下がりの背徳
12.流れた星が凍った夜に


サンクチュアリーの四枚目:『完璧な幸せ』

以下、収録予定曲

ロックンロール・スター
情況
話していたい
何処にも行かない
少しずつ
残像
行かないで
贖罪
自由
世界の何処かに
晩餐
完璧な幸せ

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