夢の続き | R.Gallagherの世界一面白いブログ!!

R.Gallagherの世界一面白いブログ!!

世界一面白いブログです!!

今晩は。

Twitterがきっかけで本日は自分の半生を振り返ってみたくなったのですが、あまり感傷的にもなりたくないので、子供の頃からなりたかった職業の変遷を箇条書きでご紹介させて頂きたいと思います。

保育園の卒園文集には、祖父が亡くなったばかりでしたので、医師になりたいと書きました。それを卒園式で司会の保育士の先生に紹介されて歓声が湧いて、医師になりたい=賢い子供という等式を初めて知りました。

小学校低学年の頃は鳥山明先生の様な漫画家になりたかったのですが、図工が苦手でしたので、普通のサラリーマンにしかなれないだろうなという冷めた感覚も既に持ち合わせていました。

小学校3~4年生の頃は、巨人の緒方耕一選手に憧れて、プロ野球選手になりたいと思うようになりました。それが昂じて六大学野球の選手にもなりたいと思い、中学入試を受けなければと日能研に入りましたが、三ヶ月で降参しました。

小学校5年生の頃は無駄になった日能研の国語のテキストに載っていた漱石や芥川の小説に惹かれて、将来は作家になりたいなと漠然と思うようになりました。

小学校6年生の頃はF1に目覚めて、フジテレビのアナウンサーになりたいと周囲に公言していました。

中学校三年間は、芥川賞作家になれるまでは、社会科の先生として暮らせる様に勉強を頑張ろうと思っていましたが、オアシスの“ドント・ルック・バック・イン・アンガー”のPVを観て、ノエル・ギャラガーの様な大人になりたいなと密かに願い始めていました。

高校三年生の夏休みまでも、表向きは芥川賞作家になれるまでは国語か英語の教員として暮らせる様にと、勉強をある程度までは頑張っていました。

しかし。

いざ受験勉強を始めてみると、英語の単語帳や古文の参考書を捲るよりも素敵な事がこの世にはある筈だと気付いて、現実逃避ではありましたが、作詞活動にのめり込んでしまいました。その内、音痴だと諦めていた自分の音楽的才能に関しましても、試しに大音量でオアシスの“サム・マイト・セイ”に合わせてガナってみましたら、「俺、リアム・ギャラガーみたいに歌えるじゃん!!」と気付きました。そうこうしている内にJACKSや椎名林檎さんの音楽と出会って、日本語を使ってでもキャッチーでダイレクトなロック・アンセムは書ける!!と思うようになりまして、早稲田が駄目でも(我が家は父も祖父も叔母も早稲田卒業で、早稲田に非ずんば大学に非ずという強迫観念が、自分には子供の頃から少なからずございました)和光に行ってバンドを組めばばいいじゃんと思うようになり、実際にそうなりました。

いざ大学に入ってみると、勉強の楽しさも再発見して、大学教員にもなってみたいと思っていた時期もありましたが、基本的にはその後は変わらずです。

プロのシンガーソングライター兼物書きになりたい。

本音はこれだけです。

その一方で、せっかく頂きました御縁ですから、今の仕事に堅実に当たらせて頂く事で、現在の会社にしっかりとご恩返しがしたいとも考えています。

ターニング・ポイントは二年後かなと考えております。

その頃までには楽器演奏が可能な物件に引っ越しが出来ていて、ネット環境も改善されていて、諸々の表現活動が週末限定ではあっても出来ていればいいなと考えています。

例のCDショップの店員さんと結婚(を前提にしたお付き合い)が出来ている事も密かに望んでおりますが、自分には結婚相手の血液型はO型でなければ絶対にいやだという頑固な拘りもございますので、その辺もコミで上手く行ってはいないだろうなと、半ば諦めています(苦笑)。

しかしその店員さんには、
身近な相手を好きになれる感覚を思い出させて頂きましたので、
本当に、感謝しております。

取り留めの無い文章になってしまいましたが、
最後まで読んで下さって、
本当に有り難うございました!!


それではまた、
次回の日記にて!!


野本亮一のGREEブログ選集-20130824080039.jpg
 

野本亮一のGREEブログ選集-20130824080147.jpg
 

野本亮一のGREEブログ選集-20130824080357.jpg