野田の虐待死事件に関して、参考になった記事をご紹介しましたが

いろいろな方が指摘されたように

DVと児童虐待は一連のものであること

暴力のカタチは被害者を支配コントロールする手段なので

身体的暴力が見えなくなっても、軽減されたわけではないこと、

家族全体の状況を、過去を含めてよく見て

諸機関が連携して支援をする必要があることが大事だと思います。

が、実際はなかなかうまくいきません。

今までも「悲劇」がおきるたびに何度も何度も同じようなことが指摘され

それでも同じような指摘をされる状況で、「悲劇」が繰り返されます。

児相や、諸機関を批判するのは簡単です。

どうして、ちゃんとやってくれないの、とはがゆい思いもします。

私が出会った職員には実際、子どものことを全然わかっていない人もいました。

畑違いの部署を渡り歩かされる管理職などがいますから。

でも、必死で頑張っている職員もいます。

現場の実情を見ない批判や提言は、現場を追い込み疲弊させてしまいます。

何が必要か、不要か、思いつくことはいろいろあります。

おいおい書いていきたいとは思います。

でも、

決め手になる解決策があれば、とっくにできていると思います。

児相をはじめ、諸機関がきちんと対応するのは

今はまだ難しい、今すぐには期待できない、というのが現実なのです。

児相などが何もやっていないわけではなく、

虐待以外にもさまざまな対応があり、

スタッフは多忙を極め、満員の施設もたくさんあります

DVからやっと逃れた母子にはなぜかすぐに支援が入ることが多いのですが

生活の基盤が整わず不安がいっぱいの状態、

DVで身も心もぼろぼろで、自信喪失し不安定になっている状態

そのようなときに、養育能力に欠けるのでは?子どもを守りきれないのでは?

とマイナス評価をされて、

母子分離が勧められ、承諾するしかなかったという人に結構出会ってきました。

逃げる前のほうが面前DVで虐待されていたのに、

そういう時は、通報でもなければ支援が入ることはないでしょう。

通報があっても、拒まれればなかなか入っていけません。

訪問しても問題を隠され、大丈夫だと言われ、

それでも支援を進めようとすれば苦情を言われ、責め立てられ、攻撃されるのです。

野田の事件で父親が取った行動は特別の例外ではないのです。

危険が大きく支援が緊急に必要なときほど

拒絶が強く支援に入れない、

強権的に入るにはいろいろ手続きを踏まなければならない

これで良いわけはなく、なんとかしなければならないのですが

これが現実だということを踏まえるのが大事です

「共同親権」が危険なのは、こういう現実があるからなのです。

選択性ならよいだろう、例外を設ければよいだろうと言っても

DV加害者=面前DVという児童虐待の加害者は

自分の親権を、それがだめでも共同親権をと譲らず

肝心なときに選択や例外が機能しなくなります

命の危険がある児童虐待に対応できない現実がある中で

もう少し目に見えにくい形の虐待に十分な対応ができると思えるでしょうか。

きれいごとではない現実を見て、考える必要があると思います。