え~そういった訳で、影の薄い 象さんのポットです。
みたいな。
接続詞であるとか、そしてとか、そういったところでとか、好きな時に使って良い言葉ですから好きです。
文法って、気のもちようですよね。
だので、最近はまたも貧乏空気ながら、スローに生活しています。
速度が遅いというより、そもそも移動が起きているのか?マリオUSAのピーチのように、歩かずに浮遊して移動しているような。
そんな気概にさいなまれつつも、ひとえにアル・バイトに尽きます。
基本的に人が成功するには、アルバイトしかありません。売れっ子兄さんやニクいあの子、オーキド博士とかも一旦はアルバイトをしています。
本当は私 生活なんかできなくても不平も垂らさないし適度的に生きていけるんですが、たまに26という歳を考えたとき、住む町やいつか起こる震災の事などを考えたとき、ぼちぼち自分を無視してはいけません。
差されゆく後ろ指、知り合いの結婚なり。頑張るチャンスは幾らでもある。でもいつかは無くなるんでは?
そう思うと、アルバイトせざるには得ないんです。
しかし困り顔で、こんなに要領悪かったのか私、と思う事多々あります。
別段バイトに始まったことではありません。日々全ての要領は良くなく、言葉選びや歩き方、金のやり繰りまで不器用極まりない。
この歳で、いま、集大成です。
言ってしまう所ではあんがいと、私は変わった経験をまあまあしているつもりでしょう。変事の回数だけは多かった。
でもその都度、学べていなかったなあと。学ぶ気ゼロだったなあと。
経験の数=経験値ではないナアと。大変過去は失礼しました。
辞めた会社とかも、しのびない。
全ては学びの悪さだったなあと実感 兼五臓六腑します。
将棋やフリーセルのように、一手二手三手先の行動を考え、読み、意味のある理由もつけて臨んでいかないと、ほんと何事も成せない中年になるわあと思いました。
何かしら器用になるまで、生活力のなさを相方やテレビ画面に罵られながら、やりよい稼ぎ口を探します。
歌と散歩以外で、誰にも負けない器用を会得します。その2物は、天童よしみとかじゃない限り絶対負けないからね。。
余裕があるので「中年」という言葉をまだ冗談使いですが、先日メシ屋でオヤッさんに
「お兄さん若そうだね」
『いや若くないです』
「いやいや。まだ三十路くらいだろ?」
と言われてしまいました。
10億くらい毎月融資して貰う事でチャラになります。