この記事の内容は、様々な資料をもとに書かれています。

 

内容の中には一部ないしは全体を通して、資料に基づく偏見や誤りがある可能性があります。また、筆者自身による偏見や誤りがある可能性も当然否定できません。

 

できる限り公平かつ事実に基づいて記事を書きたいと考えていますが、この点を踏まえていただけましたら幸いです。

 

今回のテーマはコミンテルンの正体です。昭和12年出版の諏訪部一之輔『コミンテルの正体』の前半部分を転載します。

 

 

 

 

コミンテルンの赤化工作を防げ

 

 

 コミンテルンは世界各国に陰険な運動工作を施し、平和を撹乱して国家を破壊するのが目的であります。かような世界的な大運動を長い間一貫して行ってきたのは何ものかがなければできうべきものではなく、必ずやその根源となるべきものがなくてはなりません。筆者は世界人類のため無遠慮にこれを発いてその正体を前の表により逐次説明いたしましょう。今年1月5日有田前外相はラジオの放送演説で日独協定に就き国民の支持を要望し、更に南京政府とシナ国民に向かい防共につき日本と協力して東亜の平和を図らんと呼び掛けて、コミンテルンの恐ろしき赤化工作を防御せんとしました。一体かように世界を混乱に導くコミンテルンの正体はよくも何ものでありましょうか。便宜上これを表示しました。しかし今日社会にたっているユダヤ人のことごとくが危険思想の持主だとは申しません。

 

 

 

 

赤化の根源

 

 全世界にわたる計画的赤化工作はユダヤ民族の世界政策で、彼らの宗教彼らの信念から出発しているのであります。赤化という文字からして残忍極まることをいい表しております。西暦1789年ユダヤ人の手によって行われたフランス革命当時できた歌でその後国家となったマルセイエーズという歌の第一節に「鮮血淋漓たる旗は立てられたり」とありまして、これが赤旗の真意義であります。かつてはバルカン半島で暴動のあったときユダヤ人はまず「ゴイ」(豚)を血祭りに殺しその血でそめた赤い旗をかざしました。これは他の民族の血をもってこの通りに色どりせよとの寓意で、これが赤化ということの起こりであります。これよりユダヤ民族の由来を少しお話ししましょう。

 

 

 

 

 ユダヤの祖国はアラビアの北隣で地中海に面したパレスチナという土地であります。その面積は我が九州の8割ぐらいしかありません。ここからユダヤ人の教祖も回教教祖もキリストもでました。彼らはこれを聖地と称し建国以来今年まで5697年だと申しております。その建国のはじめからユダヤ教を信仰いたし、その生活は遊牧を業とし、水草のあるところを転々として移住しました。今より約4000年前アブラハムという祖先がありその子イサクと孫ヤコブをへて四代目ヨセフのときにエジプト国王に重く用いられ今日の首相格に栄進しました。そこで一族ことごとくエジプトに移住し、その後200年間に同族200万人あまりに増殖しました。さりながら、かれらは固有の宗教、風俗、習慣などを固く守ってそこの国民と同化しなかったのみならず、その特性は頗る商売が上手で高利の金貸しをいたし少しの利益でも見逃さずに搾り取りました。その上に決して筋肉の労働をいたしません。こうした民族性は数千年を通じて今日においても少しも変りなく保持されております。これがどこの国へいっても嫌われ憎まれた一の原因であります。

 

 

 エジプトの国王は彼らから経済上の圧迫を受け堪りかねてこれをおさえるために彼らの嫌う筋肉労働を強制しました。また彼らの繁殖を防ぐため男児がうまれると直ちに殺害する法令を出して会釈なく実行しました。あるとき王女がナイル川に水浴にいくと、一人の可愛い男の子が小さな箱舟にのせられてきたのをみて拾い上げて王宮につれてかえり養育しました。成長するにしたがい天稟の英才で、これが旧約聖書にあるモーゼであります。彼は成長ののちユダヤ人であることを知り、どうかして同族をこのエジプトから救い出そうと思い立ち、国王にむかってその故国ユダヤに変えることを願いましたが、国王は許さず、そのままおいて次第に根絶にしようとしました。そこでモーゼは種々の奇跡をみせてエジプト人に恐れを抱かせ、ついに金銀財宝家畜の類に至るまで残らず持ち出して200万の同族を引き連れて大移転をいたし、40か年の長年月をへて故国に帰ったということであります。そこからユダヤ国は建設され、ダビデ王、ソロモン王の時代が一番隆盛を極めました。これは今日より約3000年前のことであります。その後ユダヤとイスラエルの二つにわかれて勢力も衰え、西暦135年ローマに滅ぼされ当時残存の同族200万人は四方各国に離散して天涯流浪者となり寄生虫に等しい生活を2000年近くも続けて今日にいたりました。

 

 

 

 

 この長い間どこの国でもユダヤ人を軽蔑するのみならず一方ならぬ弾圧を加え、土地を所有することはもちろん借地することも耕作することも絶対に許しませず住居も一定の場所に限って自由を与えません。そこで彼らは生活の道として伝統的に得意な商売と金貸しをやりました。最初は行商を振り出しについには寄生している国々の作物を他に送ったり他から送らせたりして中間で暴利を貪りました。ですからユダヤ人の荷物と知ればすぐ没収されます。彼らはこれを防ぐために無名匿名で取引をしました。今日行われている外国貿易や荷為替は彼らがはじめたものであります。のみならず信用手形や銀行、取引所の制度や博覧会、公設市場の組織など、みな彼らの創設であり、現在欧米のあらゆる大銀行や大百貨店はみなユダヤ人の経営であります。かように利殖のみちに抜きんでているその上に世界的の学者、著述家、芸術家、発明家、医者、法律家、事業家、金力家のあることは驚くばかりで、その実勢力は近年のユダヤ年鑑によりますと約1550万人の同族を有し、世界50カ国あまりに分布生活をしております。今国別にその主なるものをあげますとポーランドの370万人、アメリカ合衆国の330万人(その約2分の1がニューヨークに居住)、ソ連国に300万人、ルーマニアに95万人、ドイツに57万人(ヒトラーの政権後大多数は他国に逃避)、イギリスに30万人、フランスに15万人、その他は略しますがシナに約1万人、日本に約5000人と言われています。かように世界各国に彼ら民族がいきわたっているのみならず、コミンテルンの世界分布をみましても彼らの放った標語に「学問に国境なし、思想に国境ナシ、芸術に国境なし、労働に国境なし、万国の無産者団結せよ」といって国境を超越し、国際連盟、国際労働会議、国際平和会議、国際教育会議、国際オリンピック、国際何々と何事も世界的であるその現実をみて、彼ら民族の世界統一策として種々の工作を施し残忍なる行動を取り世界革命を礼賛しています。その根源は何からきたかと連想しますれば、彼らがその数千年来守ってきた宗教上熱烈な自我という信念がその根拠であります。あまつさえそれが長年にわたって個人主義唯物主義そのたの悪魔化を世界的に与えたものと推定されます。その一二を挙げますれば、ユダヤ教の聖典である旧約聖書中に

 

汝は諸国民を治めん、されど彼らは汝を治めることあらじ、汝は汝の神エホバの汝にわたし賜らん所をことごとく滅ぼしつくすべし、彼らを憐れ見るべからず。

 

世界はユダヤ人に属すべきものなり、これを占領するためユダヤ人はいかなる仮面を被るも不可なし。

 

ゴイは犬驢馬に劣れり、神が彼らに人の顔面を与えたるはユダヤ人が彼らを奴隷として使役するに不愉快を感ぜざるがためなり。

 

ゴイの財産はユダヤ人の手に帰するまで一時ゴイに属するものなり。

 

 

などなどありまして、ユダヤ人は神の選民であり、他の民族はゴイ(豚)であると記されてあり、これらを強い信念といたし子々孫々相伝えて今日に至ったものであります。毎週土曜日が彼らの祈祷日であります。正月元日二日は(ユダヤ人の正月はブドウの実る十月中頃)祖国の回復と神の使命を果たさんと声をからして祈願します。結婚式に新郎新婦は杯を大地にうちつけて割砕き、この杯は神の使命を果たしたのち、あらためて酌み交わさんと誓いをたてて祈ります。男児が生まれると七夜に割礼と申して男根の皮を切断します。これは血を流して罪のお詫びをいたすのであります。この割礼をおこなったものでなければユダヤ女は嫁にいかない習慣になっております。また年年歳歳世界各国からユダヤ人は何万人となく巡礼者となって祖国パレスチナにきたり旧都エルサレムの慟哭所で号泣いたし祖国の回復と世界の統一の祈りに祷り、今日は祖国の回復をし遂げた喜びの涙も加えて一層白熱しているとのことであります。かような強い信念が彼らの民族性となって今日あるに到りました。

 

 

 

 

 彼らはその目的を達せんがために金力戦、思想戦をもって暗中に飛躍し王座を覆してその国々を破壊しようとしております。金力はすでに世界の4分の3を握っており、その思想を破壊するためにあらゆるユダヤ学者は誤った文学芸術を講座、講演、文書、新聞、雑誌、映画、演劇、ラジオ、レコード、ダンスなど種々の方面から注入し宣伝し、誘惑して対個人には利己主義、唯物主義、功利主義、刹那主義、恋愛至上主義などなど、対社会には、共和主義、民主主義、社会主義、共産主義、人類の悪い本能である物欲、性欲、闘争心などを発揮させて人心の弱点に喰い込ませています。これがため男女青年はもちろん無産者・有産者の差別なく学者も貴族もすべての階級がその毒素にあてられながらそれと気づきもせず、その思想病にかかりながら時代の流行とのみ履き違えてむしろ得意になっております。

 

 ことに階級意識を盛んに煽り立て悪化させて資本家や地主を呪わせ、争議を起こさせ労資共倒れにさせるのみならず、暴力を用いて暴動革命を誘発させるのであります。それには秘密結社をもうけて連絡をとり巧妙なる組織手段であらゆる毒素を注入し、悪化させて世界政略の実現に努めてきました。

 

指導団体:秘密結社フリーメイソン

 

 ユダヤ秘密結社には種々のものがあって陰に陽に指導しております。その中で最も知られているのにフリーメイソン(仏語フランマソン)がありますその目的は現存する国家および社会を完全に倒壊しようといたすのであります。その起源は古く最初は石工の会合でその棟梁が建築に関係しての秘密を職工徒弟に伝授するための組合でありました。歴代のイギリス王は建築術を奨励したので、その技術は次第に発達し、「王の技術」と称しました。かように全く職人の組合でありましたが、次第に思想方面に傾き各階級の人が加わってだんだん変化し職業者から離れて精神的会合となり1717年神学者らの援助をえて組合の儀式や規則を作成し、ついに思想的秘密結社となり、そしてユダヤ人に左右されるようになりました。イギリスは本家本元だけに最も盛んだロンドンに一つの大組合があり、これに3000余りの組合が付属し結社員は40万人もあってこの統率者を大棟梁といい、現在皇帝の大叔父コンノート殿下を戴き王侯、貴族、大官、代議士、新聞記者、銀行家、実業家など多数フリーメイソンに加入しております。イギリスのある学者がフリーメイソンとは人為のユダヤ人であるといったほど、イギリスではユダヤ人と密接な関係をもって最高の社交機関となっておりますから、在英各国の大公使らは加名をよぎなくされます。もっともイギリスのフリーメイソンはほとんど共済団体でかつ自国に対してきわめて穏健で革命的仕事はいたしません。しかし他国に対してはすこぶる危険の存在であります。その他欧州のいずれの国にも大組合のないところはなくいずれも多数の結社員があります。米国は大組合100、組合1万5000、結社員100万人を超えております。その他南米諸国にもオーストラリアにもシナにも我が国にも組合も結社員もあり、全世界を通算すると結社員448万人といわれ、わが国のフリーメイソンは、明治年間に外国人に限って許されたということであります。

 

 

 

 

 表面には自由平等友愛の標語を掲げ、人格の修養、社会の改善という美辞のもとに醜態をカモフラージュしております。過去200年間における魔の手の二三を挙げますと、フランスの大革命を始めとして、南米はブラジル他各国の王冠を叩き落した革命を起こしました。近年では結社員ぶりプリンツィップ対オーストリア皇太子フェルディナンドの暗殺事件が動機となって5か年にわたる欧州大戦乱を巻き起こしたことはあまりにも知れ渡った事実であります。

 

 

実行機関:コミンテルン

 

 コミンテルン(ロシア語)は国際共産党とも第三インターナショナルともいい、その本部はソ連国のモスクワにあります。順序として第一インターナショナルから話しましょう。これもユダヤ人がつくったもので今はさること73年前1864年9月ロンドンで創立大会をあげました。その時の宣言書はかの『資本論』を書いたユダヤ人マルクスがつくったその趣旨は「労働者を救うには政権の獲得にある。それには国際的組織のもとに団結しなければならぬ」というのでありました。1869年無政府主義者バクーニンが参加いたし、マルクスの平等論共産主義に対してバクーニンの自由説無政府主義の論争から分裂を萌し、1872年9月ジュネーヴにおいてついに決裂しました。それから16か年後1889戦7月14日にパリで第二インターナショナルができました。ちょうどフランス大革命の百年祭にあたるのでこの日を選んだのであります。その牛耳をとっていたのがフランスの元大統領ミルランというユダヤ人であります。その決議は漸進主義で主なる要項は

 

常備軍の廃止

普通選挙

メーデーの示威運動

労働時間および賃金の規定

無産者の団結組織

海上労働者の団結組織

総同盟罷工(ストライキ)およびトラストに対する態度

 

 

 

 

でありました。爾来今日にいたるまで47年間漸進的に世界各国は知らず知らずこの決議の実行に引き入れられているのをみますとその宣伝力は恐るべきであります。こえて1917年3月ユダヤ人ケレンスキーの手でロシアに革命を起こし皇帝に位を退かせ君主制時の廃止を行いましたが、その年の11月7日レーニン、トロツキーらを首班とするユダヤ大革命団はケレンスキー政権を倒して大革命を行いそのときにおいて政府大官537名の内470名はユダヤ人でありました。この大革命に要した戦費はアメリカニューヨークの財閥ユダヤ族クーン・ローブからトロツキーを通して1200万ドルの交付があったという事であります。

 

 

レーニン、トロツキー、ジノヴィエフらは第二インターナショナルに不満を抱き、第三インターナショナル、コミンテルンを組織し、1919年3月2日から5日間第一回大会をモスクワに開きました。その決定した政綱は下の通りで極めて急進かつ革命的のものであります。

 

1 世界的共産主義建設のためプロレタリア独裁の実現

2 植民地・半植民地の被圧迫大衆の解放

3 農業労働者および貧農の獲得、中農の中立化、富農と地主との闘争

4 協同組合による大衆の共産主義化

 

 

以上の他にレーニンはソ連共産党から国際共産主義運動に対する援助すべきを力説しました。その本部をモスクワにおき中央集権組織であって世界各国の共産党は何国共産党(コミンテルン支部)の名称を用います。創立以来七回の大会を開きました。

 

コミンテルン第七回大会

 

は1935年7月25日から27日間モスクワで開催いたし参加国57、出席代表者510名でありました。この大会の結果が目下世界を震撼させているのであります。大方針として第二インターナショナルその他の社会主義各団体と戦線を統一し、いわゆる人民戦線の展開を実現しようとして下の決議をいたしました。

 

 

1 コミンテルンは従来における諸団体との対立観念を清算して、専らファシズムに対する第一線の構成に邁進する。すなわちファシズム戦線統一の手段として、反ファシズム反戦思想を抱くものである以上、その何ものたるをとわずこれと提携し高遠な理想論を排して日常卑近の現実的事実を捉え、かつ各国の特殊事情に即応するがごとき方法をもって知らず知らずの間に大衆を自己の傘下に引き入れ、またファッショないしブルジョア機関に積極的に潜入して内部よりこれを崩壊せしめること。

2 赤化の主攻撃は日本およびドイツ・ポーランドに選定し、これらの国を撃破するため英仏米の資本主義とも連携し、各個に撃破の戦略をとること。

3 日本を中心とした赤化の前提としてシナ利用に力を注ぐこと。

 

この決議の実行として第二インターナショナルをはじめ各国において幾多公認されている社会主義の国体と提携し、いわゆる人民戦線の統一を図り、赤化工作に活躍しております。その最も甚だしいのはスペインの内乱が適例であります。極東においてソ連国の膨大なる軍備はわが国を仮想敵国としており最近著しく恐慌の政策をとり、漁業条約の調印を拒んだのもその一例であります。また英国は従来極東においては大体我が国と提携しておりましたが、近来は変わってソ連と相近づきつつあります。昨年3月イングランド銀行(総裁ノルマンはユダヤ人)がフランス国民銀行(ユダヤ人が全権を握る)の保証下にフランス政府に4000万ポンドの借款を与え、それから10日たたぬうちに今度はフランス政府がその4000万ポンドをソ連に貸し与えました。ソ連はそれを何に使用したかといえば、そのうちの2000万ポンドは極東の軍備にあて、残る1000万ポンドは対ドイツ軍備に、のこる1000万ポンドはソ連の国内整備費とシナにおける活動費特に共産軍のために新彊・甘粛・陝西にわたる地方に特別地区を設定する費用に充用したのであります。その後またイギリスから1000万ポンドの対ソ連直接の借款があったことは左記のとおりであります。

 

シナの抗日工作

 

 シナ共産党は反蒋、反南京政府でありましたが、近来その態度を変じて抗日闘争となり、南京政府もまた親日の名は消えて、その実は抗日に傾き欧米の顧問は約350人もあるのに日本人は1人もいない実状であり、抗日運動は全国的かつ組織的で一昨年12月全国大学生救国連合会が出来し、ついで同月全国中等学生救国連合会が成立し、さらに昨年1月全国小学校教員救国連合会が組織され、全国における学生会が抗日闘争の先駆として立ち上がり、さらに駐支ソ連大使ボロモゴフを主とするソ連要人の活動は政治界に延び、文化団体にも呼びかけ全国統一的抗日の叫びとなりました。それから別の国難教育社という機関をもうけて豊富な活動資金を要し、宣伝員を各地に派遣し、主として学生労働者農民に抗日の戦術を宣伝誘惑して機会をまっている実情で、その裏面はいうまでもなくソ連国ならびにコミンテルンの「シナ利用に力を注ぐ」という対日工作の暗躍であります。これにより英米ソ三国のシナにおける排日の現状を述べましょう。英ソ両国は最近とみに接近を緊密にして両国間に利害の相反する何物も存在しないとして我が国の進出を阻止し、あるいはこれを駆逐すべく共同の運動が続けられ、下のような借款の協定もできました。

 

1 イギリス政府はソ連政府に対し1000万ポンドを限度として借款を許与する。

2 上借款は直接借款の形をとらず英国の対ソ輸出業者に信用保証の形式をもってする。

3 ソ連政府は1936年以降37年9月までの15か月間においてイギリス内輸出業者に対して上1000万ポンド全額注文を発するをえる。

4 購入物価に対してソ連政府は借款期限5か年利子5分半の証券を発す。

 

これを見ても英ソの親密を伺えます。イギリスはまた連米政策をとりスマッシュ将軍はケープタウンで「日本のシナ侵略を抑えるべく英米は共同して対日共同戦線を張るべし」と主張し、英米共同の対支借款運動を起こされました。これは駐米イギリス大使リンゼーとアメリカ国務長官フィリップの会見によってはじめられリムゼーは英米が主となって対支援助をなすべく熱心にアメリカをといて昨年1月以来進行をはじめた日支提携の機運を阻止する態度をとりました。

 

 イギリスの策謀はかねてより財政援助として共同借款が不能となれば単独借款に乗り出す準備として、この目的のため1935年イギリス国際財政の権威リースロスを極東に派遣しました。リースロスは同伴のイングランド銀行顧問シーロジャース、イギリス大蔵省顧問ボールベッチ、カドガン大使、在支イギリス銀行団(ユダヤ系)とおよびその密接の関係ある宋子文、孔祥熙ら英米派の要人と頻繁に往復し、イギリスの単独援助に乗り出しました。さらに蒋介石、宋子文、孔祥熙と秘密会談を遂げ、具体的援助および幣制改革支持の確約を与えました。リースロスはまた北支に暗躍して、「北支の南京離脱は北支が自ら求めて己の生命を絶つゆえんである」と説き、一面には日本の経済進出を妨害しました。

 

 また揚子江流域から南部シナに至る政治的経済的の重要地域はすべてイギリス資本の鉄道網によって支配され鉄道借款は4億円に達し、その他海運業、造船業、炭坑業にも巨額の投資があり、海関管理権を掌握してイギリス系銀行(ユダヤ系銀行)は約2億5千万元に達する税収を預金として受け取る特権を有し、金融統制権を支配して莫大の利益を占めております。

 

 またアメリカとシナとは最近下の協定ができました。

 

1 1936年度内に南京政府は2600万米銀ドルに相当する銀をアメリカに輸出すべし。

2 南京政府は全シナ銀行の兌換券を厳重統制し関税収入を除くすべての財政を統制すべし。

3 南京政府はアメリカより鉄道および船舶材料、軍用及び民間飛行機、トラクター、自動車、工業用機械、石油などを大量輸入すべし。

4 南京政府はアメリカ人財政顧問を招聘し、その管理下にシナの財政および貿易の統制をなさしむべし。

5 南京政府はアメリカより輸入する各国商品に対して、アメリカの各シンジゲートおよび各製造業者の支払いの保証をなすべし。

 

と、これによってシナの財政統制はアメリカの支配下に左右せられ、かつ軍事的重要工業品はアメリカからのみ購入すべき約束があります。こうしてこのアメリカとの間に設定した借款は中央信託会社に交付し、宋子文の指導下に関係機関へ適当に分配し、国防計画費に充当することになっております。

 

 かように英米ともに利権と勢力を擁して排日の策謀を強烈に続けられているこの現状を見ますと、「英仏米の資本主義諸国とも提携し各個に撃破するの戦略をとること」との決議の実行が目の前に現れている感じがします。

 

 ソ連はすべに外モンゴルを自家薬籠中のものとして南モンゴルにのび、その赤化工作はシナ本土に盛んに働きかけていることは前述のとおりでありますが、本年2月15日から開会された三中全会決議の結果「いかなる手段をもってしても必ず赤禍を根絶し、将来無窮の禍を残さず」と強硬の主張を宣伝に織り込み、これを変態的容共の宣伝であったということが直ちに暴かれました。いかんとなれば国民政府と共産党との妥協が成立してその条件は下のように、

 

1 一切の内乱を停止し国内を集中し、一致して外にあたる。

2 国家に危害を加える赤化宣伝軍事外交の機密事項および治安撹乱を目的とする事実無根の報道の三つを除く他言論の自由を確保する。

3 今年11月12日召集する国民大会に各方面の人材をあつめ全国一致救国を図る。

4 政治犯人にして真実に反省しているものは法律に照らして赦免する。

5 国民生活の改善を図る。

 

とあってシナ共産党は大譲歩をいたし赤化宣伝をなさざることを承諾し、10か年以上続けてきた赤化の伝統政策を封鎖して蒋介石の政権を擁護し抗日に向かわせようとする、たとえ一時の苟合にせよ、驚くべき転換であります。おもうに今日におけるソ連国の対外問題中最も急要なるものは東において日本、西においてドイツであり「日本を中心とした赤化の前提としてシナ利用に力を注ぐ」という建前からみて、スターリンの外交政策とコミンテルンの赤化運動と一致に出るのは当然で、ソ連国とコミンテルンはシナの赤化を一時犠牲にしても対日共同戦線に入ることが目下の急務でありましょう。

 

 また三中全会の決議により領土主権保持の名のもとに北支において冀東、冀察両政権に対し日本の支援を停止させようと出ました。我が国においては素より何ら領土的野心はない、この地方は一時反満抗日運動の根拠地となり赤化宣伝の策源地となっていた事実から鑑みて現実の両政権はその弊害を匡救し我が国の期待にそっております。これを立証すべく冀東政府政務官殷汝耕の三中全会の直前に行った「冀東政府の防共使命」という講演の大要をあげましょう。

 

冀東防共自治政府の負うべき重大使命は国民党政府執政以来全国民衆に与えた苦痛はこれを清朝時代、北洋軍閥時代に比較し、さらにいっそう猛烈であるので苛損雑税の圧迫は尚今日といえども日増しに重んじ民衆は全く深水加熱の惨状にあり、防共方面にいたっては西安事変発生以来共匪の毒焔日まにし拡大しつつあり、共産党の撹乱による損害は洪水や猛獣の横行よりも甚だしい。しかるに国民党は容共の態度である。江蘇、浙江両省における共産党の被害の甚大なることは国民党自身も呆然としたほどであるが討伐の目的を達することができなかった。国民・共産両党は表面対立しているが内実はそうではない。西安事変に際しても表面の討伐で事実はその形跡無く単に幾人かの代表者を往来せしめたのみである。われらの自己防共工作は完成せぬも絶対的遷延を許さぬ、コミンテルンの脅威に対しては欧米各国とも防共工作に緊張している。特に日独協定、日伊議定はこれが前提として重大なる意義を持つものである。冀東700万人民単独でよくなしうるものではない。世界防共国家は連合してこの巨患を消滅しなければならぬ。云々。

 

北支の空気はかようであります。南京政府が三中全会決議の方針で進むといたせばここに大なる摩擦を生ずるおそれがあります。

 

 西安事変の後をうけて鳴り物入りで開会された三中全会は、事情による欠席者が宗哲元、傳作義、李宗仁ほか15名、病気欠席者が、唐生智、閻錫山、趙戴文ほか11名、合計32名の欠席があり、西南・四川・山西・綏遠・山東・冀察・寧夏・雲南地方諸勢力はすべて不参加となり、会議は蒋介石直系のみによって開かれたことは三中全会の特色でありました。したがって宋子文一党はある程度の強化を遂げましょうが、全面的に対立の激化が予想されます。汪兆銘のごときもロボット化するかしからざれば再び下野外遊のほかありますまい。おもうにシナの抗日は恰も枯野に火をつけたる如く炎々と燃えあがりますが、その熱度もその期間も分かっております。またその場所も広いので、時には燃え上がり時にはまた消えましょう会議のごときも会して議せず、議して決せず、決して行わずと評されております。されどもその裏面にコミンテルンの粘り強い工作のあることを深く認識におかねばなりません。

 

 シナの抗日はこのくらいにして、これから日独協定はなぜかについて申し上げましょう。

 

日独協定

 

如上コミンテルン決議の結果「赤化の主攻撃を日本及びドイツ・ポーランドに選定し」云々とありますので日独の防共協定となり、昭和11年11月25日「共産インターナショナルに対する協定」なるものがわが国とドイツのあいだに結ばれ、コミンテルンの目的はあらゆる手段により現存する国家の破壊と暴圧にあるのであるから、これに対して防衛のため協力し、また安寧を脅かされる第三国に対しこの協定に参加することを共同して勧誘しようというのであります。その正条は

 

第一条 締結国は共産インターナショナルの活動につき相互に通報し必要なる防衛措置につき協議し、また緊要なる協力により右の措置を達成することを約す。

 

第二条 締約国は共産インターナショナルの破壊工作によりて国内の安寧を脅かさるる第三国に対し本協定の趣旨による防衛措置をとりまたは本協定に参加せむることを共同に勧誘すべし。

 

第三条 本協定は日本語およびドイツ語の本分をもって正文とす 本協定は署名の日より実施せらるべくかつ五か年効力を有す。締約国は上期間満了前適当の時期において爾後における両国協力の態様につき了解を遂ぐるべし

 

 上証拠としては下名は各国政府より正当の委任を受け本協定に署名調印せり

 

昭和11年11月25日すなわち1936年11月25日ベルリンにおいて本書二通を作成す

 

大日本帝国特命全権大使 子爵 武者小路公共

ドイツ国特命全権大使 ヨアヒム・フォン・リッベントロップ

 

以上のとおりであります。

 

ソ連国とコミンテルン

 

そこでコミンテルンとソ連政府とはいかなる関係であるかと申せばソ連国憲法第二欵第三条に

 

 全ての邦国に社会主義の勝利をもたらすをもって主なる任務とす。

 

とありまして共産主義とは申しませんが、その間に区別のあるわけではなく社会主義は漸進的で共産主義は急進的であります。イギリスの文豪ユダヤ人ザングヴィル(恋愛至上主義の鼓吹者)は1919年2月ロンドンで同志の会に、社会主義も共産主義も結局同じことになるのであって、社会主義の指導者も共産主義の指導者もいずれもユダヤ人であると告白しました。かようにソ連国の目的は広く世界を共産主義に赤化してしまうというので、コミンテルンの目的と同じであり、しかも現在コミンテルンの主要部にソ連国政府の独裁官スターリンがおり、その上にスターリンの影武者としてソ連共産党の代表者であるマヌイルスキーが同じくコミンテルンの主脳部にいて活躍の実験を握っております。こうした内容であるのにソ連国政府はコミンテルンとはなんらの関係もなく、その行動を取り締まるべき義務を持たぬとどこの国に向かっても平気に頑張っております。しかるにもかかわらず、日独防共協定について反感を起こしたのは矛盾至極ではありませんか。

 

 

 

 

日本および各国のコミンテルン支部

 

 日本 日本共産党は1920年(大正10年)10月ソ連共産党からシナ人張大羅というものを密使として堺利彦、山川均らに秘密命令を伝え宣伝費等を置いていきました。翌年日本共産党コミンテルン支部が成立し、佐野学が就職していた早稲田大学の研究室に本部をおきソ連と通報して革命運動を企てましたが、1922年(大正12年)6月の検挙で一掃され当時潜伏した党員らがソ連大使館でコミンテルンの代表から使命を受け1926年12月またコミンテルン支部として成立しましたが1928年3月15日一斉に772名が検挙され日本共産党は壊滅いたし同時に日本労働組合評議会、労働農民党、無産青年同盟の三団体も解散を命ぜられました。以来官憲の監視が行き届き共産党の名も聞きませんが、ここに最も注意すべきことはコミンテルンの決議のごとく「反ファシズム」反戦思想を抱くものである以上その何たるを問わず提携して」とありまして必ずやその工作は潜入しつつありましょう。それと我が国にファッショ反対を標榜している政党のあることを連想して知らず知らずの間において彼らの引き入れ工作に乗ぜられぬよう大々的に警戒すべきことと思います。

 

 ドイツ 我が国と同じく目がかけられている同国はコミンテルンの欧州の中心でありましたが、1933年ヒトラーが政権を握り国家社会主義(ナチス)を高唱して共産党に大弾圧を加えたのみならず、その禍根であるユダヤ民族に圧迫排斥を与えましたことは有名でその結果57万2000人あまりのユダヤ人中多数(49万人あまり)はソ連・フランスその他へと逃避しました。

 

 イギリスはコミンテルンの赤化宣伝にほとんど困り果て1927年5月在ロンドン、ソ連国通商事務所の家宅捜索の結果有力な多くの証拠物をえたので抗議を申し込むとあべこべにソ連政府は強硬に頑張りました。これがため遂に国交断絶となり赤化工作も一時は静まりましたが、1929年英ソ協定の回復とともに再び頭をもたげ目下イギリス共産党は独立にて階級闘争を指導するだけの力となり人民戦線への歩みをかため機会あるごとにストライキの扇動及び指導をいたし労働大衆間における勢力扶植に努力しつつあります。

 

 フランスはコミンテルン第7回大会以前に今日の人民戦線ができ、1935年4月の下院選挙に人民戦線の大勝利となったのみならず、共産党からは一足飛びに70名当選者を出しました。同年6月人民戦線の新内閣が組織され、現在の政府はすなわちそれで首相ブリムはユダヤ人であります。
 

 スペインは1935年人民戦線を結成し、1936年1月の総選挙に大勝を博して政権を獲得しました。その結果ボルシェヴィキ的頗る残忍な工作が施されましたため、同年7月内乱が起こり引き続き国民主義の戦線と同族同士血を流し合っております。この内乱勃発以来、独・伊・葡の国民戦線の諸国は革命軍を援助するのに対し、ソ連、仏などの人民戦線諸国は政府軍を後援し黒と赤の対立を明白にして戦ったおります。

 

 イタリアはモスクワからコミンテルンの放射をうけて階級闘争や暴動一揆が盛んに行われ赤旗は至る所に翻りました。この時熱血漢ムッソリーニが出ました。彼は元々社会主義者でありましたが、主義者のやることがすべて破壊的で残忍極まりなく、その背後にユダヤ人のあることに気がつき、1919年3月ファッショ団(国家社会主義)を作り社会主義者の退治をやりヒマシ油を飲ませてその戦闘力を削いだことは有名な話であります。かくいたして国民に覚醒を与えました。1922年皇帝の信任と国民の信頼をうけ内閣を組織し今日にいたり国運隆々としております。

 

 アメリカはモスクワにコミンテルンができると同時に手を伸ばされ1921年7月ニューヨークにおいて組織されたアメリカ共産党コミンテルン支部は政府の許可をうけて合法政党として表面的に華々しく大統領の選挙毎に候補を立てて活動する有様であります。が、幹部と党員の多数はユダヤ人であり、すべてが破壊的であるために頗る人気に投じませんが、経済的不況に基づく生活不安に付け入りストライキを頻発させている赤化工作の現状があります。その他の国は省きます。

 

 国際連盟と国際会議 国際ということはユダヤ人の世界統一策から起こったことで国際連盟は世界の平和ということをカモフラージュしておりますが、まったく彼らの機関で事務総長アブノール、交通部長ハース、衛生部長ライヒマン、経済部長ソルター、宣伝情報部長コンメンら多くのユダヤ人が幹部に名を列しております。

 

 国際会議の有毒なることを一つ申しましょう。1927年(昭和2年)8月カナダのトロントで開いた第二回の国際教育会議で我が国が代表たる某博士は「歴史および地理の教授に各国が自国のみを賞揚するのは決して賢明な処置ではない故に国際的親善増進のため世界各国は歴史の教科書を改訂する必要がある」と声明をいたし大喝采を博しました。実に驚くではありませんか。我が国としては世界に比類なき尊き歴史をもちこれが国体の精華となり教育の淵源となっていることは教育勅語に御垂示になっております。しかるに国際的に歴史を改訂したなら、わが国体の根本義を失うことになり甚だ恐るべきことであります。かような国際的の会議は国体破壊の相談会と申してよろしいのであります。

 

実力

 

 赤衛軍 陽性的破壊手段としてソ連国の軍隊いわゆる赤衛軍の拡張は、極東軍備に総兵力約30万人で、その内訳は陸軍、歩兵師団10数個、騎兵師団5個、飛行機約1000台(うち重爆撃機150台)、戦車約1000台、海軍、潜水艦数十隻、河用砲艦20隻、特務艦5隻、水雷艇60隻、駆逐艦30隻、飛行機150台、以上の外満国境を監視するゲ・ペ・ウ数万人と他にソ連と攻守同盟を結んでいる外モンゴル共和国の数個師団がある。ちなみにシベリア鉄道の輸送力は日露戦争当時に比すると数倍となっている。かような状態であるをもって我が軍事費の膨張はやむを得ざる数であります。

 

 

 無産大衆・軽佻インテリ層 潜行的にあるいは合法的にあるいは欺瞞的に赤化工作に軍隊的の活動をいたすものは無産大衆および軽佻なるインテリ層であります。これらを彼らの傘下に引き入れ被圧迫大衆を解放せよと呼びかけさせて階級意識を強調し、有産者との対立思念を先鋭化させて階級闘争に誘うのであります。

 

まとめ

 

 ここではユダヤ民族に関する記述、フリーメイソン・コミンテルン・赤軍に関する記述を中心に転載しました。当時の極東地域やヨーロッパ・アメリカの状況について臨場感のある内容になっていると思います。今日では知ることが難しい情報に溢れています。あまり時間を空けずに後半部分を転載したいと思います。

 

さいごの一言

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。