この記事の内容は、様々な資料をもとに書かれています。

 

内容の中には一部ないしは全体を通して、資料に基づく偏見や誤りがある可能性があります。また、筆者自身による偏見や誤りがある可能性も当然否定できません。

 

できる限り公平かつ事実に基づいて記事を書きたいと考えていますが、この点を踏まえていただけましたら幸いです。

 

今回のテーマはアブラハムの宗教です。

 

 

アブラハムの宗教の分布図

 

はじめに

 

 アブラハムの宗教について専門外の人間が論じるのはおこがましい行為かもしれないが、現代の欧米諸国の問題を考える上で、素人ながらも分析しないわけにはいかないでしょう。多くの専門家が平等主義の観点からあらゆる宗教を肯定的に捉えることを強いられるなか、できるだけ色のない分析を行いたいと思います。

アブラハムの宗教

 

 世界の歴史においてアブラハムの宗教というものは非常に重要な意味を持っています。アブラハムの宗教とは、その起源を同じくするユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三つの宗教のことです。

 日本を取り巻く国際情勢を考える上でもこのアブラハムの宗教について知る必要があります。アブラハムの宗教については、実際にアブラハムの宗教の信者ではない日本人であっても、実社会や学校、メディアなどを通じて知っているはずです。

 私たちが知らなければならないのは、欧米の一般的な市民であってもあまり知らない、ましては極東の私たちはなおさら知る機会がないことです。何故ならば、欧米社会でも一般的に認知されていないことが、日本において、そして世界において甚大な影響を及ぼしかねない問題が存在しえるからである。
 

 アブラハムは旧約聖書『創世記』に登場する人物です。神の啓示を受けたアブラハムはパレスチナへと旅立ち、そこで神からパレスチナの地を与えられます。現在この話を起源とする三つの宗教はアブラハムの宗教と呼ばれるようになっています。

アブラハムの宗教における「人間の創造」

 アブラハムの宗教は主に中東で発展した古代宗教の影響を受けながら形成されていきました。

 旧約聖書のモーセ五書と呼ばれる経典では神の概念はエロヒムやヤハウェなど複数の呼ばれ方で表現されます。

 エロヒムという概念はエールというアブラハムの宗教成立以前から存在する神エールが転化したものだと言われています。ヤハウェという概念は「存在するもの」という意味から転じたものです。

 

エロヒム(神々)という語の語源となったエール神像


 エロヒムと表現されるとき神は超越的な存在として表現され、ヤハウェと表現されるときは語りかけてくる存在として表現されている傾向にあります。

 モーセ五書だけでも複数の特徴のある表現形式が存在し、エロヒムを中心とした物語やヤハウェを中心とした物語など、複数の語り口によって混成されていると考えられています。

 

 

モーセ五書は複数の起源から成立していると考えられている
 

 私たちにとって神とは何かという問題には、様々な考え方があると思います。私個人の考えを言いますと、神という概念は記号として存在しているという点を強調しないわけにはいきません。

 私は神が実際に存在するかどうかという問題について議論しないという立場を取ります。あまり意味のある議論だと思わないためです。

まず、神という概念を認知する個人と、その個人によって構成するコミュニティが存在していると私は考えます。

 コミュニティは、時代の経過と共に世代が交代していくものです。個人は親から生まれ、成長し、子供を産み、子供を育て、やがて死んでいきます。

 このような営みを繰り返していく人類が、文明を形成していく過程で神という概念を形成していったものと思います。このように歴史の中で形成された神の概念が現代人にあって記号の一種として認知され、作用していると考えることができます。

 このような認識の上で、アブラハムの宗教というものについても考察しています。
 

 

ユダヤ教とキリスト教

 

 ユダヤ教は日本では一般的に聖書のなかの、旧約聖書に当たる経典を信じる人たちだと知られています。ユダヤ教では旧約聖書をタナハといいます。信者の数はキリスト教徒やイスラム教徒と比較すると非常に少なく、ユダヤ人の総人口は1500万人前後と言われています。

 ユダヤ人の人口は決して多くありませんが、多くのユダヤ人が彼らの住む国のなかで権威のある要職についており、世界的にも非常に大きな影響力を持っています。

ユダヤ人によるシオニズム運動などが広く知られていますが、彼らの聖書以外の経典のタルムードなど、日本ではあまり知られていないことも多くあります。

また、ヒレア・ベロックの『ユダヤ人』に見られるように、ユダヤ人同士で秘密を共有し、決してその秘密を決して他の民族に打ち明けることがないとして、しばしば批判されることがあります。

 ユダヤ人の多くは自分たちを選ばれた民と考えており、異民族を自分たちと区別していることも特徴の一つとして挙げられるでしょう。
 

 キリスト教は世界で20億人を超える人口を誇っている宗教であり、キリスト教もまたユダヤ教と同じく現在私たちが暮らす地球上で非常に重要な役割を果たしています。

 キリスト教は旧約聖書に加えて新約聖書を聖典とし、ナザレのイエスの教えを信じる宗教です。

 新約聖書はイエスの誕生から十字架刑、復活の物語が語られた四つの福音書を中心に、使徒言行録、書簡、黙示録で構成されています。

 アブラハムの宗教では終末論が大きな意味を持っています。キリスト教においても例外ではなく、ヨハネの黙示録は旧約聖書を暗示する表現が多用されており、終末論的な預言で書かれています。このためヨハネの黙示録は様々な解釈や憶測を生み出してきました。
 

 キリスト教は大きく分けて、東欧諸国を中心に広まった正教会と、西欧諸国を中心に広まったローマ・カトリック教会、そして宗教改革によって新たに誕生したプロテスタントという三つの大きな潮流に分かれています。

 カトリック教会の腐敗を厳しく批判したマルティン・ルターは、聖書を重視する福音主義の立場に立ち、聖書をドイツ語に翻訳しました。ルターの信者はたちまちドイツ全土に広がっていきました。1555年のアウクスブルクの和議によってカトリックとプロテスタントの抗争が終結し、プロテスタントは次第に北欧などでも信者を獲得していきました。

 宗教改革を行ったルターですが、当初はローマ・カトリック教会による反ユダヤ主義に対して批判的な立場を取っていましたが、1543年の『ユダヤ人と彼らの嘘について』で、ユダヤ人を激しく批判する立場に転じました。

 

宗教改革を行ったルターはユダヤ教に対しても激しく攻撃した

 ルターはこの著作の中で、シナゴーグの破壊や、タルムードの没収など、ユダヤ教を根絶やしにすべきであると主張しました。ルターはユダヤ人を悪魔の民と表現し、ユダヤ人をユダヤ教から回心させる必要性を説いているほどです。
 

 ローマ・カトリック教会の修道会の一つイエズス会もヨーロッパの宗教改革の頃に創立された宗派の一つです。バスク地方で生まれたイグナチオ・デ・ロヨラによって始められたイエズス会は、日本でも宣教師フランシスコ・ザビエルでなじみ深いと思います。

 

キリスト教の歴史の中でも重要な位置にあるイエズス会


 イグナチオ・デ・ロヨラは『霊操』という著作の中で、一カ月間にわたる精神修行の方法をまとめました。

 霊操では、第一週では罪と神の愛について、第二週ではキリストの生涯について、第三週ではキリストの受難について、第四週ではキリストの復活について観想します。

 イエズス会は大航海時代と相まって、世界中の異教徒を改宗させるための活動を始めました。18世紀後半には教皇クレメンス14世がヨーロッパ諸国の要求を受けてイエズス会を禁止する回勅を発布しています。

 後に教皇ピウス7世によりイエズス会の復活が命じられましたが、イエズス会は設立以来、ヨーロッパ諸国やローマ教皇からたびたび危険視され追放されています。
 

ヨーロッパにおけるユダヤ人の歴史

 

 ヨーロッパでは古くから、多くのディアスポラのユダヤ人が住み着いていました。ディアスポラとは特定の民族が国家を持たずに離散していることを言います。難民とは異なり、元の帰還すべき国家が存在しないことが大きな特徴となっています。

 ユダヤ人のディアスポラの歴史は古く、紀元前722年のアッシリアのイスラエル王国の制服、紀元前586年のバビロニアによるユダ王国の転覆のバビロン捕囚など、ユダヤ人は苦難の歴史を歩みます。

紀元前3世紀には地中海沿岸にユダヤ人コミュニティが誕生していました。更にはローマ時代以前にはインドや中国にもユダヤ人ディアスポラ存在したされます。

 紀元前63年に共和政ローマの軍人ポンペイによってエルサレム攻略が始まりました。西暦66年に、ユダヤ属州のユダヤ人とローマ帝国の間でユダヤ戦争が勃発し、70年のエルサレム攻囲戦で聖地のエルサレム神殿が破壊されました。

 このエルサレム神殿の破壊が、現在においてもユダヤ民族のディアスポラの原因の象徴として語り継がれています。神殿が破壊された日はティシュアー・ベ・アーブという祝祭の日に認定されています。

エルサレム神殿の破壊は聖書の働きにより今も世界的な悲劇の一つとして捉えられている

 離散したユダヤ人の悲劇の物語が今もユダヤ人を中心に世界中に語り継がれています。
 

 離散したユダヤ人は世界中に広がっていきましたが、特にヨーロッパに拡がっていったユダヤ人とヨーロッパの諸民族との間で問題が発生しました。いわゆるユダヤ人問題と呼ばれるものです。

 ユダヤ人はヨーロッパ各地に拡がっていきましたが、そのたびにユダヤ人に対して虐殺や追放が繰り返されました。ユダヤ人の歴史はまさに迫害の歴史でした。

 イギリスでは1144年にノリッジで12歳の少年が殺害されました。少年が地元のユダヤ人の男の家に連れられて行ったという目撃情報があり、調査の結果、少年は十字架に張りつけられて殺害されたと認定されました。

 

ノリッチのウィリアムの儀式殺人の描写

 以後も1168年にグロスター、1181年にベリー、1183年にブリストル、1255年にリンカーンで、それぞれ少年の殺害事件が発生します。これらの事件はすべてユダヤ人と関連付けられました。

 キリスト教徒の側ではこれを儀式殺人と認定しましたが、一方でユダヤ人を擁護する立場として血の中傷事件であると見なされています。イギリスではこのような事件が多数発生したため、ユダヤ人は1290年にブリテン島から追放されました。
 

 このような出来事があるたびにヨーロッパでは、ユダヤ人が虐殺や追放、迫害を受け続けます。このためフランスやドイツ、イタリアなどでも幾度となく追放されました。

 ユダヤ系フランス人の知識人であるジャック・アタリはその著作『1492 西欧文明の世界支配』の中で、1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見とスペインによるユダヤ人追放を描きています。イベリア半島ではユダヤ人が追放もしくは改宗を余儀なくされ、改宗したユダヤ人はマラーノあるいはコンベルソなどと呼ばれました。

 

キリスト教徒による国土回復運動の結果、イスラム教徒やユダヤ人は追放された

 イエズス会の二代目の総長が改宗したユダヤ人であるディエゴ・ライネスでもあり、コンベルソはイエズス会にも大きな足跡を残しています。

 

イエズス会の第二代総長ディエゴ・ライネス(ユダヤ人)

 一方、ユダヤ人はオランダやポーランドで長らく庇護を受けていましたが、度々ロシア帝国下や東ヨーロッパでポグロムと呼ばれるユダヤ人への迫害や虐殺事件が起こりました。また、1654年には北アメリカのニューアムステルダム(現在のニューヨーク)にも入植しています。

 ロシア帝国やヨーロッパ諸国ではたびたびユダヤ人に対する迫害が起こったわけですが、同時にユダヤ人の中でも反帝国主義や反ナショナリズムの思想が強まります。カール・マルクスが生み出した共産主義も、このようなユダヤ人の視点から生み出されたものだったという仮説は十分に成り立ちます。
 

 ヨーロッパのユダヤ社会で流行した一つが今指摘した共産主義でした。そしてもう一つ重要なのがシオニズムです。

第一次世界大戦時にイギリス政府がロスチャイルド家を通じてシオニスト運動を支持するバルフォア宣言を伝えました。

ロスチャイルドに送られたバルフォア宣言によりシオニズム運動が活発化した

 バルフォア宣言の後、ユダヤ人金融資本家たちはイギリス政府の意向を受けて、ロシアやドイツ、東欧の共産主義運動を経済的に支援し、労働者階級を刺激して運動を過激化させていきます。

 別の章で詳しく紹介しますが、欧米のユダヤ人金融資本家とユダヤ系の共産主義革命家は互いに協力してイスラエル建国のために活動していたのです。

 そして第二次世界大戦後に遂に彼らは長年の悲願を達成するに至ったのです。
 

  キリスト教地域であるヨーロッパとイスラム教地域である中東の間では十字軍による聖地エルサレムを巡る度重なる戦闘の他、多数の戦争が繰り広げられてきました。

 現在はユダヤ人が建国したイスラエルと周辺のイスラム諸国の間で対立が続いています。また同時にユダヤ人とキリスト教徒の間でも、キリスト教徒とイスラム教徒の間でも、大きな紛争から地域社会のコミュニティの対立など、争いが終わる兆しはありません。

 国際社会では様々な思惑が渦巻いています。日本国憲法の前文では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とありますが、私たちはこのような価値観がGHQの草案が元になっているということを忘れるべきではないでしょう。
 

 

日本とアブラハムの宗教

 

 アブラハムの宗教の影響を受けた人々が日本に初めてきたのがいつなのか分かりませんが、近年では日本人のルーツが一部ユダヤ民族に繋がっているとする日ユ同祖論やそれに類する議論が起こっています。

 美術史家の田中英道氏によると古墳時代に日本に渡来した秦氏がユダヤ人だったという説を唱えています。また千葉県や群馬県から出土した埴輪についてユダヤ人埴輪と名づけており、古代から日本はユダヤ文化の影響を受けているとしています。

 他にも日本の神輿は、ユダヤ教の聖櫃であるという説や、修験道にユダヤ教の影響を見るものなど様々な説があります。

 いずれの説が正しいのか判別がつきませんが、正倉院にある宝物などを見る限りでも8世紀には既に西方から様々な品々が日本に持ち込まれていたという事実から見ても、これらの学説が完全な創作であると捉えるのも無理があるのかもしれません。
 

 日本にキリスト教が伝来したのは1549年のイエズス会のフランシスコ・ザビエルによるものが始まりであるとされています。関西地域や九州地域ではキリシタン大名が多数誕生するなど影響力を拡大しましたが、1587年にイエズス会の布教活動や奴隷売買などを理由に豊臣秀吉によりバテレン追放令が発せられ、以後日本におけるキリスト教の迫害の時代が始まります。

 徳川政権でも当初はキリスト教徒の活動を黙認していましたが、次第に危険視する傾向が強くなり、1637年の島原の乱の後、幕府はポルトガルを出島から追放しました。

日米修好通商条約が結ばれたのち、18世紀後半には再び日本でキリスト教の布教が始まりましたが、この時長崎に訪れたベルナール・プティジャンは、隠れキリシタンの存在を知り驚愕したと言われています。

しかし日本人としてそれ以上に驚くべきことに、のちにアメリカは長崎の浦上天主堂の近くに原爆を投下しますが、デイヴィッド・ディオニシの『原爆と秘密結社』によると、長崎が選ばれたのはそこに教会があったからとしています。

非常に複雑怪奇な事情が、欧米社会には存在しているということを認識しておく必要があるでしょう。
 

 現在の日本におけるキリスト教徒の数は文化庁の『宗教年鑑』によると200万人くらいとされています。アブラハムの宗教全体で見て人口の2%に満たない数です。

 日本にアブラハムの宗教が伝えられてから、ほぼ一貫して低い数字を保っています。今後も日本でアブラハムの宗教が広く信仰される可能性は高くないでしょう。

 ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカなど全世界でアブラハムの宗教が大勢を占める中、これほどアブラハムの宗教が根付かない日本は、世界的に見ても稀です。

 中国もまたアブラハムの宗教の影響の小さい国であるようにも思えますが、後に述べますが、共産主義はアブラハムの宗教の影響を多大に受けた思想です。この点を考えてみても、日本の立ち位置は世界的に見ても特殊と言わざるをえません。

 

マルクス主義もアブラハムの宗教の亜流と考えることもできる
 

まとめ

 

 世界でアブラハムの宗教から最も外れた地域・国家である日本はアブラハムの宗教を外側から分析することができる希少な立場にあります。日本人がアブラハムの宗教とその文化や思想を分析する場合、従って一般的にはアブラハムの宗教の外側から日本的な伝統や科学的な視点から考えることとなるのではないかと思います。

 

 もちろん一方でキリスト教徒としての視点でアブラハムの宗教について、例えキリスト教やユダヤ教的伝統を前提とした、あるいは人権思想を前提とした観点からアブラハムの宗教について分析している場合もありますが、この場合、大きなオリジナリティを発揮せず、欧米の視点に倣った観点になるのではないかと思います。

 

 日本人的な独自の視点で分析するためにも、アブラハムの宗教とは別に日本の伝統や科学的分析方法について考察するのも大事なのではないかと思います。

 

 今回は軽くアブラハムの宗教についての要点をまとめました。拙いまとめですが参考になればと思います。

 

さいごの一言

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。