この記事の内容は、様々な資料をもとに書かれています。

 

内容の中には一部ないしは全体を通して、資料に基づく偏見や誤りがある可能性があります。また、筆者自身による偏見や誤りがある可能性も当然否定できません。

 

できる限り公平かつ事実に基づいて記事を書きたいと考えていますが、この点を踏まえていただけましたら幸いです。

 

今回のテーマは敗戦国となった戦後日本です。

 

 

 

はじめに

 

ここでは日本の敗戦と歴史教育について言及したいと思います。戦後教育の問題点を論じるに際して、単にマルクス主義批判だけでは捉えきれない部分があるという観点からの考察となります。

 

敗戦国日本

 

 日本人の歴史認識は戦後の教育やマスメディア、大学を中心とした学術的な研究、日本政府の見解などによって形成されています。戦後日本というものを考える上で重要なことは、日本は第二次世界大戦における敗戦国ということです。

戦後に教育を受けた昭和生まれ世代は親の世代や祖父母の世代から戦争がどういったものだったのかその体験を耳にされた方もいるかもしれません。もちろん昭和は長く続いた時代だったので、生まれた年によって認識の違いは大きいものでしょう。

現在の平成生まれの若者世代は、昭和世代ともまた先の大戦についての印象にも小さくない違いがあるかもしれません。もちろん歴史認識は世代間の差と同じく個人差も非常に大きなものだと思います。

 

 学校の歴史教育においてもまた世代間で大きな違いがあると思います。歴史教科書には常に政治的思惑が絡んでいます。

 

教科書を執筆する大学教授、教科書を販売する出版社、学習指導要領に関わる知識人、文部科学省(文部省)の官僚、そして政治家や政治活動家の歴史認識が大なり小なり教科書の内容に反映されるものです。

 

 そればかりではなく、敗戦国日本では、当時の連合国側であった国々、特にアメリカの意向を大きく受けていると思います。

 

 いずれにせよ、日本社会は、戦後教育によって国民の中に知識として蓄積された歴史認識によって小さくない影響を受けていると考えるべきでしょう。さまざまな国家や組織、そして個人の思惑が、日本の歴史認識のみならず、政治や経済などに関わる国民の多くの価値判断に大きな影響を与えているのです。

 

 

 日本は1940年の日独伊三国間条約に基づいてドイツおよびイタリアと同盟関係になりました。当時の国家戦略がよかったのか悪かったのかはここでは問いません。



ドイツのヒトラー政権とイタリアのムッソリーニ政権はヨーロッパにおける新秩序の建設を目的とし、日本の近衛政権は東アジアにおける新秩序の建設を目的とし、相互の協力関係を築くことを主眼においたものだったのでしょう。

 この三国の枢軸国に対するのは、当時のソヴィエト連邦であり、大国イギリスとアメリカでした。戦後の学校教育において、多くの日本人が共産主義のソ連と資本主義のイギリスおよびアメリカが協力したのか疑問に感じたと思います。

最近はインターネットの普及などもあり、イギリス・アメリカ・ソ連が何故協力関係を構築しうる状況にあったのかが一般の日本人でも調べて、議論することができるようになってきました。

 また戦後教育では日本とドイツが非常に残虐な行為を行った悪の枢軸国として世界中の非難の対象となってきたわけですが、これにはもちろん戦勝国側の思惑があるわけです。

 

WGIP

 

 文芸評論家の江藤淳さんはGHQによる日本占領政策について、日本人に罪悪感を受けつける宣伝計画、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)の存在を明るみにしました。

1970年代後半からアメリカの日本弱体化政策について言論を展開した江藤淳氏

 GHQは終戦後すぐの1945年末に新聞紙上で「太平洋戦争史」を10回にわたり掲載し、またNHKラジオにおいても「真相はかうだ」という宣伝番組を放送するなどしています。

真相はかうだは第二次世界大戦中のイギリスの番組が下地となっている

 太平洋戦争史では、GHQは新聞各社に対して、戦前の日本が如何に残虐な行為に及んだのかという資料を製作し、自由にその資料を使うことを許可する勧告を出しました。これらを民間企業に翻訳させ、出版させました。

 映画では民間情報教育局の指導のもとで、「誰が戦争に導いたか」、「東京裁判」といった短編ドキュメンタリー映画や、大映製作の「犯罪者は誰か」松竹製作の「喜劇は終わりぬ」といった長編映画を作らせました。

 これらは日本の官僚や軍部、財閥が日本国民を欺き戦争に駆り立てたというプロパガンダが盛り込まれていました。

 GHQは逓信省や新聞やラジオ・映画といった広報組織の他に、文部省や教育機関、宗教団体や政治団体、職能・商業団体との関係性強化に力を入れています。

 

 

 GHQによるWGIPで植え付けられた考え方はその後においても、学習指導要領にも反映されています。特に歴史、政治、経済の教材に見られる価値観はこのGHQの宣伝計画による価値観を引き継いでいます。

 WGIPによって指導された言論は大学や高等学校、小中学校において常識として定着していきました。

 教育機関で定式化された価値観は同時に新聞・ラジオ・テレビなどを通じて途切れることなく、日本国民に植え付けられてきました。

 戦後教育はしばしばマルクス主義史観であると言われています。学校でもマスメディアでも戦後長らく、社会主義または共産主義は正しいものとして国民に周知されてきました。

 このような言論を資本主義国のアメリカの指導の下に行われたということに矛盾を感じられる方も多いと思います。
 

マルクス主義とジャコバン主義

 

 敗戦によって治安維持法が撤廃され、GHQの指令によって多くの共産党員が出獄しました。

 徳田球一、宮本顕治らを中心に合法政党として日本共産党が再建されました。日本共産党は急速に日本全国に組織されていき、学生運動や労働運動などが活発化していきました。

戦後の日本共産党初代書記長となった徳田球一


1958年から日本共産党の最高指導者となった宮本顕治

1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約は、1960年に自民党の岸内閣とアメリカのアイゼンハワー大統領の間で条約を改定する新条約が結ばれました。

 この安保改定条約を巡り各大学では学生運動が盛んになり、全日本学生自治会総連合、いわゆる全学連から新左翼運動が活発化していきます。

 この時代の社会主義および共産主義政党、そして学生らによる新左翼運動が戦後の日本人の価値判断に大きな影響を与えたことは間違いのない事実です。
 

 

 東西冷戦が長く続いた戦後の世界情勢は、ソヴィエト連邦のペレストロイカによって大きく変わっていきました。

 アメリカを中心とした資本主義社会に対抗する社会主義勢力のソヴィエト連邦の崩壊が1980年代後半に起こり、東欧革命によりベルリンの壁が崩壊したことは日本にも非常に大きな影響をもたらしました。

 日本でも共産主義は教育やマスメディアを通じて日本国民の間でも理想の一つとして議論され続けてきましたが、ソ連の崩壊は日本の高度経済成長とバブル経済による繁栄とが相まって、日本の学生運動も労働運動も下火になる大きな要因になりました。

 ソ連の崩壊以来、少しずつ日本では共産主義に言及することが少なくなってきました。それに代わって欧米流のリベラル、新自由主義、新保守主義といった思想が台頭してきました。

 しかし、一方で、学校教育などはなおマルクス主義史観に基づいた考え方が生徒たちに教えられていたと思います。ソ連の崩壊によってマルクス主義は日本国内から消え去ったかのようにも見えましたが、実際のところ果たしてどうだったのでしょう。
 

ソ連崩壊後もマルクス主義史観は変わらないのは何故なのか

 

 戦後の学校教育は現在もマルクス主義の影響を強く受けています。それ以上に重要な理念と位置付けられているのが民主主義と人権思想です。

 イギリスのトマス・ホッブズやジョン・ロックの政治思想、フランスのモンテスキューにはじまりルソー、ヴォルテールやディドロといった百科全書派にみられるような啓蒙主義が、やがて勃発するフランス革命に重大な影響を与えました。

 啓蒙思想の影響はイギリスの市民革命やアメリカの独立戦争などにもみられますが、フランスのジャコバン派の理想こそが、現在の日本の民主主義や人権思想に決定的な影響を与えたことは疑いようがありません。

 現代日本にあって、保守政党の自民党から最左翼の共産党に至るまで、ジャコバン派の価値観である民主主義と人権思想を人類の普遍的価値と見なしています。

戦後日本の政治学は、一言で言えばジャコバン主義が最も重大な意味を持っているとさえ言えるのではないかと思います。
 

自由民主党も日本共産党もジャコバン派の思想を継承している

 

 ジャコバン派もマルクス主義も人間の権利、自由と平等、平和主義を非常に重視しています。

 ソ連時代のレーニンやスターリン、中国共産党の毛沢東など共産主義政権は暴力革命を推進してきました。暴力革命は決してマルクスやエンゲルスの共産主義と無関係ではありません。マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で公然と暴力革命を肯定しています。

暴力革命は人間の権利や、自由と平等、平和主義といった理想とはかけ離れたもののように思われるかもしれませんが、歴史的事実として人間の権利が謳われるところには暴力を肯定する意見が常に存在し続けています。

 一見矛盾する暴力革命と人間の権利とは、互いに手を携えて発達してきた歴史があるということは無視できません。これはマルクス主義に限ったはなしではなく、フランス革命のジャコバン派から変わらないのです。

戦後日本では保守派も革新派もフランス革命の暴力革命を否定してこなかった

 マルクス主義者はフランス革命の理念を常に利用してきました。私たちはフランス革命こそが暴力革命だったことを認めなければならないでしょう。
 

罪の意識を刷り込む意図を読み取る

 

 人間の権利や民主主義というものは欧米社会をはじめ、地球上のすべての国の地域において普遍的な価値として、国際連合を中心とした国際機関などを中心に重要視されています。

 国際連合の常任理事国の内、かつてはソ連の中国という二つの社会主義国であったように、人間の権利や民主主義という概念は社会主義あるいは共産主義とは矛盾しない概念として認識されてきた歴史があります。

 一般的な日本人であるならば、このような現象に少し違和感を覚えるかもしれませんが、国際社会ではこのような矛盾が普通にまかり通っています。

 国連では今もなお、旧枢軸国の日本やドイツを敵国と定めた条項が残っています。除外されずに残っているわけです。これに対して、国連にとって多くの市民を虐殺した歴史をもつジャコバン主義やマルクス主義は敵として認識されることはありません。

日本やドイツが敵国条項から除外されない理由は歴史を紐解けば見えてくるものがあります。

 

 

戦後になって国際連合と訳し直された連合国の思惑によって世界は今も動いている

 

 国連は欧米の強国が中心となって運営されている機関です。この国連の価値観は戦後日本を統治したGHQの価値観は当然根底では通じている部分があります。

 

 その時その時代によって、大勢を占める考え方は移ろいゆくものではありますが、その基底となっている部分には共通する考えが絶えずあります。戦後は特に日本の軍国主義とドイツのナチズムが痛烈な批判を受け、日本人とドイツ人に対して教育機関やメディアを通じて罪の意識が植え付けられてきた歴史があります。

 

 もちろんこれは戦争に勝った連合国(国連)の思惑があってのことです。彼らにはどのような思惑があったのでしょうか。そして連合国側の代表者とはどういった人間たちだったのかを私たちは知る必要があります。

 

 そのためにも、私たちはその歴史を知る必要があるわけですが、その前に私たちが教わっている歴史教育というものを、黒塗りの教科書の延長線上にあるものという認識を持たなければなりません。

 

墨で消された文字に上書きされたものが戦後教育と考えることができる

 

 私たちに隠された歴史とは何だったのかを私たちは知る必要があるのです。

 

まとめ

 

 敗戦によって日本に導入された価値観の中心には今もなおマルクス主義が存在し、その更に大きな枠組みとしてジャコバン主義が大きな意味をもっています。

 

 ソ連崩壊後にはマルクス主義が批判の対象にされてきましたが、ジャコバン主義は全く無傷のまま日本の、そして世界の普遍的な価値として教育やマスメディアによって喧伝されています。マルクス主義が今なお死に絶えないその背景にはフランス革命の原動力となった思想の存在が大きいと見るべきだと思います。

 

さいごの一言

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。