この記事の内容は、様々な資料をもとに書かれています。

 

内容の中には一部ないしは全体を通して、資料に基づく偏見や誤りがある可能性があります。また、筆者自身による偏見や誤りがある可能性も当然否定できません。

 

できる限り公平かつ事実に基づいて記事を書きたいと考えていますが、この点を踏まえていただけましたら幸いです。

 

今回のテーマは認識論的アナーキズムです。

 

 

 

ファイヤアーベント

はじめに

 

認識論的アナーキズムはオーストリア出身の哲学者・科学哲学者のポール・ファイヤアーベントの生み出した概念です。高橋昌一郎氏は限界シリーズの中で彼の哲学を方法論的虚無主義と呼んでいましたが、科学哲学を考える上で、私はこのファイヤアーベントの考え方に対し違和感を覚えつつも、無視できない立場であり続けています。少し、この点について考えていきたいと思います。

 

帰納法批判

 

ファイヤアーベントは科学はその本質においてアナーキスト的であるといいます。進歩を妨げない唯一の原理は「なんでも構わない」というスタンスであるとしています。

 

「なんでも構わない」というのは、同時に反帰納的に推し進めることとしています。帰納法というのは前にも取り上げたと思います。Wikipediaに記載されている例で言いますと、帰納法とは次のようなものです。

 

「人であるソクラテスは死んだ。人であるプラトンは死んだ。人であるアリストテレスは死んだ。従って人は全て死ぬ。」

 

こういった方法を帰納法と言います。ファイヤアーベントはこの帰納法を否定します。ファイヤアーベントが帰納法を否定したベースにあるのは彼の師であるカール・ポパーの影響によります。

 

ファイヤアーベントと同じくオーストリア出身のイギリスの哲学者であるポパー(ちなみにユダヤ系です)は帰納法は決して正しくないと言い続けた哲学者です。彼は別に反証可能性という概念を導入したことでも有名です。

 

科学的理論は自らが間違っていることを確認するテストを考案し、実行することができる」ものとしこれが科学の基本条件であるとポパーは考えました。

 

ファイヤアーベントもポパーの理論を基本的には踏襲しています。

 

アド・ホックな仮説

 

帰納法批判や反証可能性に続いて、アド・ホックな仮説という概念を考えてみましょう。アド・ホックな仮説とは、for thisな仮説、「特定の目的のための仮説」という意味で、場合によっては「その場しのぎの仮説」などと表現したりもします。

 

簡単にいいますと、例えばある理論が反証されたときに、その反証を否定する目的でその理論に後から付け加えられる補助仮説のことを言います。

 

アド・ホックな仮説の例には、フロギストン仮説などが例に挙げられます。

 

物体が燃焼されるときにフロギストンという物質が放出されると考えられていました。しかしラボアジエの実験により燃焼によって物質の質量がむしろ増えることが分かりました。

 

しかしフロギストン仮説の支持者はこの仮説が間違っているとは認めることができずに、フロギストンは質量がマイナスの物質であるといったアド・ホックな仮説、for thisな仮説を提示しました。

 

これがアド・ホックな仮説の例です。

 

カール・ポパーはアド・ホックな仮説は認められないとし、反証可能性を現象させるとしました。これに対して彼の忠実なる弟子であったファイヤアーベントはこれに異を唱えます。

 

アド・ホックな仮説は時に積極的に科学を新しい理論に導く可能性があると見なしました。ファイヤアーベントは科学において一見乱暴そうに見える理論についても許容する態度を重視しました。

 

ただし、認識論的アナーキズムは絶対主義的な態度を認めませんので、権威化には否定的ととらえるべきでしょう。

 

国家と科学

 

ファイヤアーベントは同時に次のようなことも指摘します。

 

「国家と教会との分離は、国家と科学、すなわちかの最も新しく、最も攻撃的で、かつ最も教条的宗教的制度である科学との分離によって補完されなければならない」

 

と言っています。

 

昨今のコロナ問題などを見てみると、コロナに関する科学的な見地が国家的な制度と非常によく結びついているのがよく分かります。

 

最終的に科学的な結論を国家が行うということは、非常に全体主義的で極めて危険なイデオロギーを個人に押し付けることになるに違いありません。

 

神話・宗教・魔術

 

「かくして科学は、科学的哲学が認めようとする限度以上にずっと神話に近い。それは人類によって発達させられて数多くの思考形式の一つであり、必ずしも最良のものではない。それは目にたち、やかましく、また厚かましいが、しかしあるイデオロギーを大切にするようにすでに決心した人々、あるいはその利点と限界とを調べることもなくそれを受け容れた人々に対してだけは、根本的に優れたものとなる。」

 

現代科学は、一般的に考えられている以上に、科学哲学者であるファイヤアーベントが指摘するように、ずっと宗教や神話、あるいはさらには魔術に近いものかもしれない。このような宗教・神話・魔術に近いものと、もし国家が深く結びついたのであれば、政府はこの現代科学というアヘンによって、国民の思考を麻痺させ、死に至らしめる可能性がないとは言えないでしょう。

 

まとめ

 

ファイヤアーベントの認識論的アナーキズムは、科学へ向かう態度として「なんでも構わない」とさえ言い切り、同時に帰納法への批判を行った上で、アド・ホックな仮説を擁護しました。そしてこの認識論的アナーキズムは、科学が政治的な役割を演じるに際して、国家権力との分離を強く要求することを重視しました。科学的イデオロギーを最終的に受け入れたり、退けたりするのは最終的に国民個人であるべきだとしました。

 

これは実際に昨今のコロナ騒動にも応用できます。私たちの国家は私たちに対して、科学的な理論や科学的な予防を繰り返し提示してきますが、そもそもそれは国家が国民に対して提示する仕事として最良のものなのでしょうか。

 

国民にはそれを退けるための権利はあるべきという見方を私たちは排除すべきではないと思います。

 

さいごの一言

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。

 

 

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