「うどん キツネつきの」
高山羽根子
コレの続きです

「おやすみラジオ」
絵手紙教室の講師をしている比奈子は最近
とあるブログに注目している
それは、どうやら子供が書いた日記ブログらしく
「ぼく」と、友達の「ヒメ」、「タケシ」、「ブチョ」、「ピッチ」
が、なぞの「ラジオ」なる物体を拾うという内容
読んでいるうちに、比奈子は日記の内容からこれは自分の近所の話だと気づく
このブロクが書かれた真意とは…?

前回紹介した「母のいる島」がいちばん好きな話だと書いたんだが
途中までならこの「おやすみラジオ」がいちばん好き!と言えます
同じ子供の文体、ぼくやヒメやブチョなど同じ登場人物…
つまりこれは、本当に子供が書いたブログなんかではなく
誰かが明確な意思をもって、
不特定多数の人間になにかを扇動するための情報操作ではないか
ね?めっちゃゾクゾクするでしょ!?



よく考えたら身の回りにもこういうのあると思って
流行りモノとか流行りの人や考え方
それぞれ別々の媒体から繰り返し見聞きしているうちに
なんだかそれらがとてもいいモノに感じてくる
もしそれが、単にマーケティング目的だけでなく
意図された思考に洗脳する目的だったとしたら
私たちは簡単に操られてしまうんじゃないか…?

そこまではすごくおもしろい話だと思いました!
が、その後の展開はまた私の理解をはるかに超えてきまして…
結局、なんだったんだ…!?
と、心がおいてけぼりに

私ができる範囲でした解釈ですが…

結局、「ラジオ」の根源はブログの登場人物のひとりである「ヒメ」という少女
ネットが発達し、
意味がある情報も無意味な情報も
善意も悪意も
有害な情報も有益な情報も世界に溢れかえり
情報で飽和した世界を浄化するために脱出したのがヒメの父親で
(主人公、比奈子の失踪した父親も同じ役割であったような記述がある)
情報の洪水に耐性のあるヒメは(または比奈子は)この世界に残り
この世界の情報の混乱が落ち着く日を待って
その日が来たら父親に連絡する役割を持っている
では、「ラジオ」は?
「ブログ」の役割は?
ブログは、不特定多数の相手に「新世界」の存在を知らせる役割
ラジオは、本当に必要な情報だけを伝える役割
と、解釈したんだけどぜんぜん自信ない。
結局なんなんだろう…

結局、比奈子の世界の情報の混乱は収まることがなく、
「ラジオ」が流した音なき音もかき消されてお話は終わる。。
