映画
「PERFECT DAYS」


 


東京の公衆トイレの清掃員の仕事をしている

平山(役所広司)の 生活



↑上記のとおり、これ以上でも以下でもない内容の映画なんですけど


ずっと観ていたくなる…!



前半はただ、平山(役所広司)の生活のルーティンが淡々と。



古いアパートで一人暮らし。

まだ暗いうちに起きて、育てているたくさんの植物に霧吹きをかける。

アパート脇の古びた自動販売機で買うコーヒーが朝食がわり。

夜明けの街を軽バンで走りながら、お気に入りのカセットテープを聴く

決められたトイレを回っては、慣れた手つきで丁寧に完ぺきに磨き上げる

お昼は神社でコンビニのサンドイッチを食べる

神社の木々の木漏れ日をカメラにおさめ、ちいさな芽は神主に断ってから持ち帰る

銭湯にいき、行きつけの飲み屋で夕飯をとって、読書しながら眠る



このムダのないルーティン、まさにパーフェクト



古びたアパートに一人住まいのトイレ清掃員の無口な男性

なんていうと、ちょっと荒んだ人物を想像しますが



空を見上げる平山の澄んだ目や、その後に映る空や街の美しさから

平山がこの世界を肯定していることが伝わってきます




この映画の役所広司氏は…


「渇き。」の怖・役所広司ではなく

「陸王」の熱・役所広司でもなく

「有頂天ホテル」とか「キツツキと雨」のカワ・役所広司だ…!

私はカワイイバージョンの役所広司に弱いデレデレ



平山ははじめ口が聞けない役なのかと思ったほど無口なのですが(話せます)

表情が豊かで、なにかとニコニコしてます



清掃員の仕事を愛し、日々の生活のちょっとしたことに幸せを感じているように見える


必要以上のモノももたず、余計なこだわりもいらない
私もこんなふうになりたい。


そう思ったのですが
物語の中盤、平山を慕う姪のニコと、その母親である平山の妹が登場してからは
少し平山のバックグラウンドが垣間見えます



いらないものは持たず、まさに「足るを知る」ように見える平山だが
平山なりになにかを諦めたり流されたり捨てざるを得なかった結果
現在の生活に落ち着いたのかなと推察されます。


詳しい過去の事情は明かされません
真顔逆にそれがイイ


だけど、みんな何かしら諦めたり
なんとなく流されて意図せぬ人生になったりするものですよね


平山は本当にシンプルな暮らしをしていて
仕事道具以外は鞄ももたず、財布や時計など必要最低限なモノしか持ち歩かないし
料理もしないし洗濯もコインランドリーで風呂も銭湯、どうやら冷蔵庫や洗濯機もなさそう


それがね、ニコが突然平山のアパートに泊まりにきて、
平山はいつもの寝室をニコに譲って
自分は物置きみたいな部屋で寝起きするんですが


その物置きには、使ってなさそうな冷蔵庫やらモノがゴチャゴチャ置いてあって
シンプルに必要なものだけしか持たないように見える平山も
必要ではないがなんとなく捨てられないモノがあるんだなと
妙なところでホっとしてしまった



ラスト、朝日の中を無言で運転している平山の表情は筆舌に尽くしがたい


思うようにいくことばかりじゃない。取り戻せないものもある
だけど世界は美しいし、朝日は眩しい


簡単にいうとこんな感じ?↑



これらの映画を観たときにも思ったんですけど下差し


たとえば絶望したとしても
ほぼ反射的に、朝日の美しい1日の始まりや心地よい風に
思わず感じ入ってしまうことがある


生きることの圧倒的な強さに引っ張られてしまう瞬間がある


この映画にもそんなことを感じました