この本の感想文を書いていました

ネットではこの短歌にさまざまな解釈がなされています
・石川啄木の挫折や無念
・そういうときに語れるのは妻くらいしかいなかったという孤独
・そもそも石川啄木そこまで愛妻家じゃなかった説←え!?

どれが真実かは啄木しかわからん




しかし私は
「友がみな我よりえらく見ゆる」
この心情、
メッチャクチャよくわかる!!!
と、共感しかありませんでした

むしろ、その気持ちだけでこの本を手に取りました

まわりが自分よりえらく見える
まわりが自分よりちゃんとして見える
まわりが自分よりマシに見える
わたし、人生99%これ
です

普段からこういうふうに思ってる人、どれくらいいるんだろう
有名な短歌にあるくらいだから、わりとポピュラーな感情なのかもな
だけど自分でも不思議なのが
だからといって不幸せではない。
それなりに毎日楽しいこともある。
わたしってダメだわなぁ、と毎日思わない日はないんだけど
そのダメな資質を存分に活用してそれなりに楽しく生きている謎の自信があります

この本では、これまで紹介したとおり、
客観的にみれば「気の毒だ」「不幸そうだ」「底辺だ」
と、言われてしまいそうな人生が題材になっている
それこそ
「まわりに比べて自分は…」という人生である
たけどこの本では
簡単にその人を不幸だ幸せだ善い悪いを決めつけはせず
その人生、そのささやかな毎日、ささやかな生活
ささやかな幸せをありのまま書いているように感じた
まわりに劣等感を感じ、妻と花を愛でる啄木を
「みじめな気持ち」と解釈したサイトもありましたが
私は必ずしもそうは思わなかった
ダメダメな自分でも、花を愛でることはできるし
それで良い気分にもなれる
ダメダメな自分の資質は変えられないけど
身の回りにはダメダメな自分でも楽しめることがある
自分はダメだと落ち込む日ほど、
そういう身の回りの小さな楽しみに目をやってやり過ごそうよ
それしか乗り越える手段はないんだよ
なんだか、そういうメッセージのように感じましたね~