アレグリアとは仕事はできない
津村記久子


より

地下鉄の叙事詩


朝の地下鉄に乗る人々。

毎朝おなじ顔ぶれ。

ぎゅう詰めの不快な空間で、たくさんの不愉快を乗せて進む

この電車も不快だが、それぞれが今から向かう先(職場や学校)にも別の不愉快が待っている

体も自由に動かせない空間で、ついつい心に浮かぶのは

他人への憎悪や暴力的な気持ち。

そのとき、事件が起こる






とりあえず

通勤・通学の混み合った電車は命が削られる!!ということ



混んだ電車って
精神・肉体的にも負担が大きすぎるよね。
そして、そんな思いしてまでたどり着くのは学校や職場。
それがゴールではなく、そこからやっとスタートなんて気が遠くなるガーンガーン





そんな中で、ついついイライラが沸き立って
まわりの奴らをメッタ斬りしたい
炎炎炎
みたいな危険な妄想をしてしまったりする。

心に悪意がわきやすい、精神衛生上にも非常に良くない環境である。



だけど、実際の悪意とはまた別。


このお話の登場人物はそれぞれ、
地下鉄のなかで
周りへのイライラや憎しみ、蔑み、悪意、ときには暴力的な気持ちがわきおこる。


だけども、それは他人とのちょっとした交流などでふっとやわらぐようなもので

実際に人を傷つける本当の悪意とは全く違うものである。




地下鉄で、一時的な悪意に心を覆われていた人たちが

誰かを傷つける「本当の悪意」に対面したとき

それぞれはどう行動するのか


たとえ、その直前の瞬間まで
イライラして心が悪意に覆われていたとしても

咄嗟に「正しい行動」がとれる

人間はそうでありたいし、そういうものだと信じたいと思った


現在は、田舎の空いてる道を短時間車通勤だから相当ラクだよ