先日、この市内に講談を聞きに行った。
小さな雑貨屋が会場で40人も入らないほどのところ。
講談師の地声でそれを聞けたのは楽しかった。
地元ネタ1本と武将ネタ2本、それぞれ味わいはあった。
講談そのものはよかったし、面白かったし、感動したけど、
小さな箱ならではの本編じゃないエピソードが気にかかった。
終演後、出て行くときに、
講談師がお見送りしてくれるサービスがあった。
それは小屋‘ならでは’のことでとてもよかった。
まぁ、ほぼギュウギュウ詰めだったので、
狭い出入口へ向かうために席(パイプ椅子)を立ち、
お見送りのためにふたことみこと、講談師と会話しながら、
なので、時間がかかるのは当然だった。
ところが、それを見越してか、
本来なら出口に近い人から出ていくのがマナーなのに、
「先生、先生、こちらに・・・」 と、
出入り口の方ではなく逆の、
奥の方(そこは1列目で講談師の演壇の目の前)にいたのに、
店主から一番最初に出ていく人として選ばれたのだった。
また、その彼が講談師と挨拶以上に話してしまったので、
そのひとり目に出て行く彼を、
ほかの客人はそれが終わるのをずっと待っていたのだった。
わずか客人40人弱の講談会で、
特別待遇を受けさせる理由がわからない。
その話をもれ聞いたところでは、
今度、この講談師が講談を演じに訪れる同じ市内のA中学校の教師だった。
その際のビラができてそれを渡しながら、
「今度はよろしく」とか「みんな楽しみにしているとか」・・・・。
いやいや、それっておかしくないか?
それはビジネスの話。
そんな「次回」のビジネスの話はこの日の講談会には関係ない。
もし、そしてその予習としてこの日に参加するなら、
普通1列目に陣取らないでしょう。
せめて、最後列に座るという謙虚さが、
教師には必要じゃないか?
そして、終わってから一番最初に出ていくかい?
ビジネスの話をするんなら全部の客が出て行った、
そのあとでしょう。
しかし、もし、「先生、どうぞお先に」と言われても、
ほかの人にその権利を譲る、
「どうぞどうぞ」という、
「はからい」が教師には必要じゃないか。
一体こいつ、どんな顔して生徒の前に立っているんだ?
いったいどんな教育をしているんだ。
ひどいぞ。 A中学校は終わっている。
生徒がかわいそうだ。
あとひとつ、
進行の店主の話が最初、休憩、最後等々、
10周年10周年と同じセンテンスを繰り返すばかりで、
経文のように聞こえたから、
いい感じをうけなかった。
それが「味わいだ」と理解するほど、
店主との人間関係が出来上がっていないから、
初めて参加する者にとってはそれは苦痛でしかなかった。
噺はよかったのに、だった。