平成26年9月3日
もう30年以上前になりますが、私は中国(広州)
に単身赴任していたことがあります。そのときの広州は、
改革開放体制に入ってから未だ間もなく、道路には
自転車に混じって牛車やリヤカーも走り、人民服を
着た人々でごったがえしていました。
そんな状態ですので、当然、外国人(特に歴史問題を
抱えた日本人)にはとても厳しい生活が強いられました。
妻から日本のテレビのビデオや本、そして何よりも日本
の食料品を送って貰って、一人暮らしの生活をなん
とか凌いだものでした。
そんな中、ある日、妻に連れられて母が、私に
会いに広州に来てくれました。
当時は日本からの直行便が無く、香港経由でのフライト
(日本―香港―広州)でした。そして中継地の香港
で広州行きのフライトを待たされるので、朝早く
日本を出て、広州に着くのは夜遅くになってしまいました。
未だ若かった私でさえ、広州に着くとクタクタになりました
ので、老齢の域に達していた母の疲れはとても酷かった
でしょう。だけど、そんなことはおくびにも出さず、精一杯
着飾った姿でニコニコしながら飛行場ロビーに現れたとき、
私はその顔を見て胸がジーンとしたことを覚えています。
そんな母が亡くなってからもう随分と年月が経ちました。
今でも私の頭には、飛行場ロビーでニコニコしていた
母の顔が鮮やかに浮んできます。