平成19年9月25日
「格差社会」ということが社会的な議論を呼んでいます。
今日、昼食を客先近くの中華料理屋でひとり黙々と
食べているとき、隣に座っていた4人連れが盛んに議論を
戦わせていました。
眼鏡をかけた中年の男性が、“世の中おかしいよ。昔は
馬鹿でも一所懸命働いたら、食って行くことぐらいはで
きたんだ。
でも、今の世の中は、頭が良いとか、上手く立ち回る奴が
儲かって、そうじゃない奴は生きることさえできない。きちんと
「正しい努力」をしている人間が生きることさえできないって、
やはりおかしいよな”。
と盛んに不満を言っていました。
もうひとりの中堅の男性が、それに対して、
“求職活動に努力しても尚、採用されない人物の話がよく
出てきます。でも、求人の背景も考えない。自分のキャリアの
適合性も検証しないで、毎晩何枚もの履歴書に同じ内容を
機械的に書きなぐり、それを求人情報誌の企業に郵送して
いても、採用されないのは当たり前かもしれませんよ。
機械的に履歴書に文字を埋める作業に、何十、何百時間を
費やそうとも、それは「就職活動の正しい努力」とは云えない
のではないでしょうか?“
この議論の対立を聞いていて「正しい努力」とは何かを
考えさせられました。
自己満足だけに留まるなら、自分が努力したことはみんな
正しい努力なのでしょうが、成果や結果を期待する場合、
成果や結果を求める相手が評価してくれる努力だけが、
「正しい努力」と云えるのかもしれません。
だから、今の「格差社会」は、相手を喜ばせた努力だけに報酬が
巡り来るという意味での「格差が発生する社会」なのかも
しれませんよ。
是非HPにも立ち寄って下さい!
http://www.node-office.com/index/index.html
会社のHPにも是非立ち寄って下さい!
http://www.humansource.co.jp/