先週の木曜日から左上の奥歯が痛いです。痛い、というよりズキンと沁みます。

 

 

早く治したくて土曜日に歯医者さんに行きました。するとレントゲンを撮ったあと「虫歯ではなさそうなので知覚過敏の処置をしておきますね。これで治らなかったら、神経を抜かないといけないかなあ」と言ったあと、何かササっとやってくださいました。

 

 

「はい。これで様子を見てください」と言われて椅子から立ち上がるとき、「これは、間違いなく治っていない」と思ったけど、「先生!!そんなことでは治りそうにないので、もう一歩進んだことをしてください!」とは言えません。

 

 

次の人が待っているし、その次の手立てが「神経を抜く」なら、神経は抜かないほうがいいとも聞くし、先生が言うようにもう少し「様子を見る」しかないんだろうなと、瞬間的にもう一人の自分と相談し、両者(どっちも自分)しぶしぶ納得したからです。

 

 

案の定、まったくよくなっておらず、相変わらず沁みます。つら。

 

 

何も考えずに飲んだり、食べたりしていたことが毎回「沁みるな。このあと、ズキーンとくるな」と思うので緊張するし、ユーウツになるし、生活の質がガタ落ちです。

 

 

体の不調はあちこちに起きますが、その痛みや不快から解放されようと思うときの「心の動き」とつきあうこともなかなか大変だし、消耗すると実感しています。

 

 

パンっ!と症状が出て、パンっ!と治るものはそんなに多くなくて、

 

 

「症状が出る」→「自然治癒を願う」→「自然治癒するのかしないのか調べたりする」→「それでも自然治癒を願う」→「こんな時間を過ごしていてどうなのかなと思う」→「やっぱり病院に行こう!と決める」→「病院へ行く」→「何を期待していたのかと言われるとビミョーだが、想像していたのとはビミョーに違う診療でとまどう」→「あいまいなまま、もしくは自分を納得させて病院を後にする」→「頼む!治っていてくれ願う」→「治っていない気がする」→「やっぱり治っていない」→「落ち込む」→「次の方策を考える」・・・以下、ビミョーに状況が変わりつつ繰り返し。

 

 

みたいな流れ。

 

 

この心の流れの特長は、徹底的に孤独なこと。

 

 

自分の体との自問自答に終始する、いつ終わるともない長い長い時間。

 

 

知っているようで知らない「自分の体というコントロール不能な他人」との終わりなき対話。答えは出せないのに、「痛み」という事実だけは知っている。

 

 

もちろん同世代の友人と不調を嘆きあったりはするけれど、「痛みを解決し、健やかな日々」というゴールに至るまでの道はひとり。ただ一人。

 

 

とぼとぼと孤独に歩くのみ。

 

 

歯が沁みるぐらいで大げさになってすみません。

 

 

でも、こんなふうに書いておくと、後々、「わたしは、いま、たった一人で歩んでいるから孤独でつらいのだ」と思える気がするんですよね。

 

 

それが今後、必ずや訪れるであろう別の痛みとの闘いの場合に役立つだろうと。言語化の効能に期待。

 

 

かかりつけの歯医者さんは遠いので、今日は家から歩いて2分の歯医者さんに行ってみようと思います。

 

 

そういうわけで、わたくし、ただいま、たった一人の旅の途中。

 

 

もし、あなたもそうなら、遠くから静かに、しかし熱くその闘いを応援しています。

 

 

わたしたちに、一刻も早く健やかな日々が戻りますように。

 

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  前記事にコメント、ありがとうございます。

 

■アメちゃんさん

憧れますよねえ。すごくわかります!わたしもそんな一人です。たとえば、京都ぐらいの規模の町で、あちこちにちょっと面白い人がいて、その人たちとほどよくつながっていて何か楽しいことを企画して集まる…とかそういう「ばらつき方」がいいのかなあと思います。いつでも無縁にもなりうる縁、というのかなあ。人の気持ちは変わりますもんね。

 

■sakae0325さん

ぜひぜひ。記事には、私のこの文章からは分からないことも書かれていて興味深かったです。人との距離、近づくのはとてもいいことだけど、離れてもいい、という担保はあったほうがいいですねえ。