老後を安心して暮らすために計画的に行動するって、そう簡単にはいきませんな。
かつて元NHKアナウンサーの村田幸子さんが関西での友だち近居(同じマンション)を解消して東京の戻られたことについて書いたことがあります。
いろいろあったでしょうが、簡単にいうと「楽しくなかったわけじゃないけど、居心地がよくもなかった」ってことだと思いました。「意識が高い人や考え方が同じ人と友だちづきあいをするのはいいし、歩いて5分ぐらいに住むのは理想的かもしれないけど、いっしょに住むのは大変だろうな」と感じたものでした。
住み心地としては、「自分の家を一歩出ると、自分とはまったく関係のない、考え方も違えば、好きなこともまったく違う人たちがいて、お互いにほどよく無関心」ぐらいが一番いいんでしょうね。自分のこととして考えても、そう思います。
同じ考え方の仲間と近居するって「ショッピングセンター内で暮らす」のに近いのかもしれません。
自分の家が各テナントだとするじゃないですか。そのテナントを出ても、そこは「完全な野外」ではなく「同じ建物の中」。大きくて広いけれど、どこまでいっても「室内」。いろんな店(人)がいるけど、同じ空間の住人。高級老人ホームもちょっと似てるかな。自分の部屋を出てレストランに行ったとしても、そこは同じ空間の中。
いくつもの目に見えない規範が共有され、想像以上の速さで情報が広がり、頭の上に気まぐれな空はない。
まわりにいるのは経済状態が同じ程度で、価値観を共有できる人たち。
そういう人たちが、町のなかに、なんとなーく、うすーく、多めにいるのなら「住み心地のいい町」になるでしょうが、「同じ空間の中」でいると息苦しく感じる場合もあるでしょう。
やっぱり難しいなと思ったのは、
↑この記事に書いた作家の久田恵さんも上記のサ高住を離れて、東京の実家で一人暮らしを始めておられたからです。婦人公論9月号にインタビューが掲載されていました。
この号です
もともとお父さんが亡くなった後、他の方に任せていた東京の実家を守る人がいなくなり、一体どうしたものかと思って数日間帰ってみたら、その居心地のよさに驚いたと。
免許証を返納して移動が不便になったり、70代半ばになって「(サ高住で)人と暮らすことにちょっぴり疲れ」を感じるようになったりしたことも原因なんだそう。
ご自身、車の運転が下手で脱輪した際にクレーン車を呼んで大ごとになったことあるらしく、サ高住の人は誰も久田さんの車には乗らなかったと笑い話にしておられますが、自分の失敗が周囲に筒抜けなの、もしかしたら辛かったかも。私の憶測にすぎないけれど、もし、みんなが「久田さんは運転が下手!」と思ってなかったら、多少面倒でも免許更新したんじゃないかな…なんて思ったりもしました。
周囲の評価って、思っている以上に自分を縮こまらせるし、つい従うほうが楽だって思ってしまいますから。久田さんほどの女性が…とは思うけれど、でも、それはわからない。
他人(家族も含め)からの視線は、いつでもすぐに「監視」になりうる。それがたとえ、愛情や心配に根差していても。
「監視」のソフトな言い方が「見守り」だもん。
いずれは、「見守り」の元で生きていかなければならないとしても、年とともにどんどん弱くなっていくからこそ、「不安」を手に入れんがために「自由」を手放すのには慎重でありたい。
「自由」って何もそんなに特別なものじゃなくて、「家を出ようとするとき周囲をうかがわずにいつでも出れる」「どんな格好をしていてもいい」みたいなこと。自堕落な自分でいてもいいってこと。もっといえば、「トイレしたいときにいつでもできる」みたいな、そういうこと。
そんな小さな自由の集まりが、「幸せ」なんだと思うのです。
よければ、こちらもどうぞ。
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前記事にコメントありがとうございます。
■asaさん
コメントありがとうございます!本、古い本なので中古しか入らなかったのではないですか。すみません!ちょっと価値観も古くて合わなかったごめんなさいね。アプリ、よかったですーーーー!
■sakae0325さん
そうなんですよ。わたしも一瞬掃除のモチベーションが上がりましたが、すぐに平常モードに戻りました。やはり、別種の人間ですww