56歳のとき、3歳年上の夫が倒れて意識不明になるという人生最大の事件が起こり、その4年後には亡くなってしまうという別れがあり、自分の想像をはるかに超えて早めに「おひとりシニア」になりました。

 

 

その顛末はこの本に書いています↓

 

 

 

今でもよく思い出すのは、犬のスーを保護施設から譲ってもらったときのこと。夫に「この子が14歳のときに、わたしは70歳。ふたりとも、せめてそれぐらいまでは絶対に元気でいような。犬への責任やで」と言ったことです。

 

 

そうは言いながらも、「世は、高齢化社会。70歳は、まあ、余裕だろう。さすがに夫もそれぐらいはもつに違いない」と思っていましたが、70代どころか夫には60代がまるごとなかった。「僕は、年をとるのが楽しみや」といつも謎の余裕をかましていましたが、その「楽しみ」はごっそりなかったんですから神様は残酷だ。

 

 

ここから話がちょっと脱線して恐縮ですが、わたし、ネットフリックスで兵馬俑のドキュメンタリーを見てから秦の時代にはまり、ドラマ「始皇帝 天下統一」全78話を見ているんです。

 

 

もう、その大げさなオープニングソングが流れるたびに、中国史ドラマが大好きだった夫に見せたかった!何なら漫画「キングダム」も、その実写版も見せたかった!わたしが死んだら、どれぐらい面白かったか教えてあげよう。教えてあげてうらやましがらせて地団太踏ませてあげよう!と毎回思います。何なら本気で「あの世でアマプラ見れるかな」なんて考えているんですから、我ながら笑える。

 

 

そういうわけで想定したよりずっと早く「おひとりシニア」になったわけですが、そのわたしが思うのは、

 

 

シニアのひとり暮らしは、「ままごと」に近づく。

 

 

ということです。

 

 

さらに言えば、「ままごと」として楽しめるほうが退屈しない。

 

 

ということです。

 

 

ままごと、覚えてます?

 

 

ざっくり言うと、「家庭生活」を簡単な設定とありあわせの小物で再現し、そこに自分(と友だち)の会話によってドラマを作り出す遊びですね。

 

 

実際の「家庭生活」は煩雑かつ複雑きわまりないものですが、その心理的ストレスの存在を知らずに、もしくはうっすら気づいているけれども存在しないことにして、「ごっこ」として楽しんでいたわけです。

 

 

おひとりシニアになった今、家庭生活そのものから煩雑さと複雑さが減り、明らかに「ごっこ」に近づいています。

 

 

還暦は、子どもに還ることだといいますが、このことだったのかな?(笑)

 

 

すべての設定を自分で決めて、自分で何をするかも決めて、自分で会話して、自分で回していく。

 

 

「丁寧な暮らし」なぞというものは、そもそもが「ままごと」なのではないでしょうか。自分で決めて、自分で会話して、自分で回して、自分で悦に入る。最大の共通点は「必ずしもやらなくていいことを好き好んでやる」こと。

 

 

「ままごとをおしゃべりしながら(心のなかで一人でしゃべりながら、つまりは独り言を言いながら)、楽しんで回していく」ことが充足した生活につながるのではないか。他者不在のままごとを飽きずに繰り返すみたいに。

 

 

わたし、最近いろいろお菓子を手作りしていますが、全部、ままごとです。この記事に書いたお金の管理も「はい、これはここに入れておいて、こうしてこうして置いておくね」と自分で自分に話しかけてドラマを進めるままごと。

 

 

自足とは、ままごとなり。

 

 

過去記事にも書いていました(笑)。

 

 

 

 

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■sakae0325さん

イージーパンツオススメですよー!楽だし涼しいし、サイズも気にしなくて全然オケでした。ほんと着まわしTシャツ、2、3枚で済みますよね。わたしもです!笑