ずーーーっと昔。友だちの結婚式で久しぶりに会った同級生女子に

 

 

「そのワンピース、すごい似合ってる。30歳に見えないー」と(いま思うと30歳なんて若いに決まっているんだけども、より一層、若く見えるという意味で)褒めたら、「そっちも見えないよ」と返されたのだけど、それが明らかに

 

 

「そっちも30歳には見えない。めっちゃ老けて見える(ニヤリ)」

 

 

というニュアンスだったので、思わぬ方向からの痛烈かつ辛口な本音批評にびっくり仰天したことを覚えています。

 

 

記憶のなかでは、なぜか、ふたりは、エスカレーターの前後に立っています。

 

 

彼女はワンピース、わたしは着物(振袖ではない)を着ていたから、落ち着いて見えたのかもしれないし、実際に老けて見えたのかもしれないし、わたしの褒め方が気に入らなかったのかもしれないけど、

 

 

あんなおめでたい場所で、だれもが、ちょっと気分が高揚して懐かしがってうれしがっているところで、あれはなかったんじゃないか。あの返しができるということは、いつも本音で生きている裏表のない人ともいえるし、当意即妙な辛口ジョークの人ともいえるし、それ以上に意地悪ともいえる。

 

 

…ということをもう30年以上経っても覚えているんだから、言葉の破壊力とそういった言葉の脳への定着力が恐ろしい。人って本当、イヤなことのほうを忘れないものですねえ。年とともに愚痴っぽくなるわけだ。

 

 

わたしは覚えているけど、おそらく彼女は覚えていないでしょう。「殺傷力の高い言葉を発したほうはすぐに忘れて、発せられたほうはいつまでも覚えている」法則がありますからね。

 

 

ああ。きっと、わたしも自分は忘れているけど、言われた人は覚えている「殺傷力の高い言葉」を発してきたんだろうなあ。ごめん。

 

 

一番、遠慮会釈なく発してきたのは、夫に対して。あー、申し訳ない。

 

 

そんな夫は、倒れる寸前、わたしが犬の散歩に出ようとたちあがったときに冷蔵庫の野菜室をのぞきながら、

 

 

「今晩、僕がなんか作ろうか。ウィンナーポテトでいい?」

 

 

と言ったのでした。それが最後に見た「立ち姿」であり、最後の言葉。

 

 

料理をしようと冷蔵庫をひょっこりのぞいていること、ウィンナーポテトというややジャンク感のある食の好み、おっとりした口調。

 

 

ぜーんぶ、ひっくるめて彼らしい言葉です。人生が凝縮しているといってもいいんじゃないか。

 

 

そう思うと、一つひとつの言葉に「自分の全部」がのっかっているんですねえ。

 

 

「ここぞ」と発した言葉だけでなく、すべての言葉に自分のすべてがのっかっている。

 

 

できるなら、どこを切り取っても、さりげなくて、どこか機嫌がよくて、気取っていない自分がにじみ出ているような言葉を使っていきたいわあ。これからの目標だ。

 

 

それにしても、30年前の「老けて見える(ニヤリ)」よりグサッときた言葉もあったでしょうに、ふかーく記憶に残る言葉や場面ってなんなんでしょう。

 

 

自分の脳の分類基準が知りたい。

 

 

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