大阪城公園に梅を見に行った娘が友だちとシートに座ってお菓子を食べていたら、とても楽しそうなおばあさんたちが歩いてきたそうです。
軽い坂道になっていて、そこを歩きながら「もう、おばあさんやな!」って爆笑しながら。
娘は、「もう、めっちゃ、おばあさんやのに、おばあさんって思ってないんやと思った(笑)!で、おばあさんたちは、おばあさんたち同志でいるほうがめちゃめちゃ元気。若い人に連れられてきてたおばあさんのほうが元気ない」
「そやで。おばあさんは、おばあさんの中に、おばあさんじゃない若いわたしをいつも抱えて生きてるから、何かあるたびに『ああ、おばあさんやな!』ってびっくりしたり、がっかりしたりするものなのです。それを、みんな、笑い飛ばして生きてるのです」
実際は「ですます調」じゃないけど、気持ちは「ですます」で重々しく伝えました。娘よ、覚えておきなさい。母の言葉を。
それにしても目に浮かぶわあ。ゆるい坂道を「おばあさんやな」って口々に言いながら、軽く息を切らして歩いてくるおばあさんたちの楽し気な姿!若い娘さんたちがことさらに「おばさんやな」って口々に言いあうことで若さを確認するのに近い感覚を半分懐かしく、半分本気で覚えながらきゃぴきゃぴと歩いている姿!
いま、思わず「きゃぴきゃぴ」と書いてしまいましたが、
きゃぴきゃぴ…女子供が屈託なくはしゃいでいるさまを表す表現。元気で楽しげなさま。やや死語めいた表現
と書かれていました。でも、きゃぴきゃぴには、きゃぴきゃぴにしか表現できない「はしゃぎ感」があるから、わたしが、言葉の墓場から掘り起こして使いましょう。
きゃぴきゃぴ、大事!何が大事って、「きゃぴきゃぴが大事説」を唱えたい!
素敵な老い方として「きゃぴきゃぴ」が取り上げられることは、ほとんど、というかまったくないように思うけれど、
同世代が集まって、だれに気兼ねすることもなく、きゃぴきゃぴする。
心のなかに生きている「若いわたし」を解き放って、思う存分、きゃぴきゃぴさせる。はしゃがせる。
そのことのいかに大事なことか。退屈な人生の小さな祝祭よ。
孤独に強く、おしゃれに一人時間を楽しんで生きる老いだけが老いじゃないんだから。それも一つの鋳型だから。堅苦しいわ。
おばあさんたちは、おばあさんたち同志でいるほう元気。
若い人に連れられて来てたおばあさんのほうが元気ない。
これぞ、真理。
「連れられて来てた」のなかには、しばしば「渋々、付き合った」という消極性が含まれるだけでなく、息子や娘や孫たちなど若い人のリズム(たとえば、若い人のきゃぴきゃぴ)についていけなくて、自分のリズム(我がきゃぴきゃぴ)を放棄し、あるいは最初からあきらめ、「母」や「祖母」らしく求められる役割どおりに振舞ってしまうという事態も多分に含まれるのです。
我がきゃぴきゃぴを決して手放すまい。この手にきゃぴきゃぴを、永遠に。
軽くて、くだらなくて、傍から見たらみっともないことの中に人の幸せの核は宿る。
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コメント、ありがとうございます。
■sakae0325さん
ほんと手間ですよねえ。カラートリートメント、お風呂が黒くなるかなと思ったら、それが大丈夫だったんでよかったです。でも、素手でやると爪の間が黒くなるのでそれは要注意(笑)
■杏子さん
わかりますー。私、30代後半から50代前半までは「中年期」だと思うんです。芸能人を見ていても「ずっと、この人、この感じだなあ」と思う時期。それが、ある時期から変わってくる。大体、60歳前後じゃないでしょうか。ピアス、家ではつけませんよねえ。でも、新陳代謝が落ちているから、案外、穴はダイジョブ(笑)