芸大生の娘が(大学卒業後、就職してまた学生になりました)、課題の作品制作として母親のわたしを撮影しています。

 

 

家にいるとき、すなわち、すっぴん&ボサボサ髪&テキトー服の状態のわたしも撮っているんですが、もう、その映像ときたら。単なるボサボサではなく、「目鼻、どこに?」な感じ。いやほんとに。

 

 

顔の造作がよくわからない(そもそも小さい)のに加え、頭部(顔や首)の皮膚のあちこちがたるみ、動くたびにあちらにシワが寄り、こちらにシワが寄る。その「皮膚の微細だが絶え間ない変化」のほうが目鼻より雄弁なのです。しかも、手!キーボードを打ったり、紙をめくったり、花瓶を握ったりする、その手が醸し出すびっくりするほどのくったりした生活感と緊張感のなさと年齢よ!!

 

 

しかし、これは序の口でした。

 

 

月曜日、かつて夫の入院していた病院のある町まで出かけて、かつてのように買い物するわたしを娘は撮影していました。その日は、わたしもそれなりに髪を整え、服にも気をつかっていたので、「いくらわたしといえど、それなりの雰囲気は出てるでしょ。家のなかとは違うよねー」と期待していたのです。

 

 

が。

 

 

ドキュメンタリー映画の登場人物であるわたしは、本当に「小さくて、くすんだ、おばあさん」でした。ほんとに。

 

 

そして、あちこちが雑なのです。髪のまとめ方とか、服の着方とか。

 

 

ああ。もう、別の次元に来たなと思いました。

 

 

もちろん、60代でも美しくてきれいでおしゃれで、パッと視線を引き付ける人がいるでしょう。それはすばらしいこと。本当に。

 

 

でも、わたしは、すでに別の次元に到達してしまった。

 

 

中年じゃなくて、中年と老年の間でもなくて、明らかな堂々たる老年。

 

 

横顔なんかね。たるんで、輪郭がずるずるのコボちゃんでした。植田まさし氏の描くコボちゃんは5歳だからかわいいけど、あの顔にあちこちたるみを加えた感じ。

 

 

映像を見ながら、この首筋にスッパリとシャープな襟の線を入れたいと思いましたよ。英国貴族の邸で働く老メイドの白襟みたいな。清潔感を無理やり作って、だらしなく見えなくする効果!あれ、あれ。

 

 

輪郭を人工的に作る。どこかに線を引かないとグズグズになる。

 

 

もう一つは、隅々まで丁寧ってほんと大事。

 

 

いやあ、わたしは雑でね。眉毛を描いてもテキトー。髪もテキトー。その根底には「そこまで見えんだろう」という他人様の大雑把さと無関心への信頼(?)があったのですが、そんなふうに60年以上生きてきたら、いつの間にか自分は「粗雑の集合体」になっていました。

 

 

…なんて具合に自分を客観視する機会を得て十分に絶望したのですが、意外に気分は爽やか。メガネの曇りがとれたとでもいいましょうか。まさか自分がうぬぼれメガネをかけていたなんて思っていませんでしたが、十分にかけていました。その曇りがとれたのです。

 

 

自分が見えた。

 

 

不思議なことに、娘が授業で途中経過として映像を少し見せたら、「おかあさん、面白いね」と言われたそうです。ペラペラしゃべっていた場面かな。「ボッサボサのたるんだおばあさん」と「面白い」は共存するんです。せめてもの救いだ。そして、誰も「わたしのようには、わたしの映像を見ていない」。わたしが別にきれいでも、ブサイクでも、見る人にとってはどっちでもいいんです。きれいか否か、おしゃれか否か、気にしているのは自分だけ。それも、もしかしたら、大いなる救いかも。

 

 

そういうわけで、わたし、多くをあきらめることにしました。おしゃれな人、も、素敵な人、も。そっち方面のいろいろは、他の方にお任せします。

 

 

これからは、「少しでも輪郭」と「少しでも丁寧」に、できる範囲で努めたい。あと、できればオモロクあろう。

 

 

口だけ達者路線。

 

 

 

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