ときどき、ブログにも登場していますが、わたしには8歳のころからの幼なじみがいて、ずっと誕生日プレゼントを贈りあってきました。小中学校が同じで、高校からは別。いまは、わたしは大阪、彼女は関東に住んでいます。

 

 

40歳を超えたころから、プレゼントに同封するカードには「わたしより、一足先に〇歳になりましたね!ああ、年はとりたくないもんだ」とか「また1歳、年をとってしまったよー(涙)」とか、嘆き節から始めるのがお互いの約束のようになっていました。

 

 

まあ、もう、そんなに誕生日がうれしいもんじゃないよねえ、という感覚があったんでしょう。お互いに。

 

 

ところが、今年9月、カードを前にボールペンを握ると

 

 

「こうやって誕生日を祝えること、誕生日のプレゼントを贈れることが本当にうれしい」

 

 

と書いたのです。

 

 

あらあ。

 

 

そして「これからもずっと贈りたいと思います」…正確な文章は忘れたけれど、そんなことを書きました。そして、気持ちがおさまるところにストンとおさまった気がしたのです。

 

 

2023年は、特別な抱負もなく始まったし、自分の心構えをどこかでちゃんと確認したことなどなかったけれど、幼なじみにあてたバースデーカードで、ちょっと大げさだけど「自分の人生への向き合い方」を知ることになりました。

 

 

もちろんこれからも「年をとったねえ」とか「年はとりたくないもんだ」とあちこちで飽きもせず嘆きつづけるでしょうが、その底に「ああ。また、この時を迎えられてよかった」と幸せも噛みしめている。そのことに心から感謝もしているのです。

 

 

最近、思うのですが、わたしが狂おしいほどに切なく思うのは、両親や夫と二度と会うことがかなわないように「時がどんどん流れていって、どうしても止められない」ことです。今、成長した娘と過ごす時間だって止められない。スーとの時間も止められない。永遠に散歩の日々が続くように感じているけれど、決してそんなことはない。

 

 

この繰り返しの先に、今以上に「ひとりのわたし」が待っている。(しかも老いた!)

 

 

わたしは、そのわたしに、いつか必ず会う。

 

 

そう思うと、なんともいえない無力感とともに、ちょっと身が引き締まるような、一番大事な友だちがそこに待っているような不思議な感覚を覚えます。

 

 

誕生日を重ねた先のわたし、老いて何もできなくなっていても「おめでとう。よくがんばってる」と今のうちから伝えておきたい。「これまでのがんばりを知ってる」と伝えておきたい。そういえば、わたしは、よく20年後ぐらいの自分を思い描き、二重写しにするように生活しています。たぶん、どこかでエールを送りつづけたいんだろうなあ。この先に待つわたし自身に。

 

 

幼なじみへのカードも、彼女へのエールになっていたらいいなあと思います。

 

 

プレゼントはこちらを二足

 

 

 

 

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