先週仕事で高知に行って、翌日丸一日観光して、最後に立ち寄った日帰り温泉で悲しい出来事に遭遇して帰ってきて、翌々日の土曜日に送っておいた明神丸のカツオのたたき(大阪なら冷凍でなく冷蔵で送れる)を「おいしい、おいしい!」と食べて、阪神が優勝しそうなことも知らずにひたすら仕事して昨日午後納品。ポッドキャストでおしゃべりして発散して、今日9月15日。

 

 

かつての敬老の日ではありませんか。

 

 

義母には、うなぎを送りました。楽天スーパーセール終わってから送るというぼんやり具合。うなぎ、何度か送っているが喜ばれているのかどうかは不明なまま。

 

 

贈ったのは、この商品

 

 

 

今朝、大きなスーパーに買い物に行ったら、惣菜売り場のマルゲリータピザ(おいしそうなヤツ。おいしそうだなあとずっと思っているけど買ったことがないヤツ)をわたしと同い年ぐらいのご夫婦が買ってエコバッグに入れようとしながら、ふたりで何やら相談していました。

 

 

うらやましいとは思わないのだけど、自分と彼らの間にスーッと透明の膜が張られている感じがするのはなぜなのかなあ。異世界にいることを、こちら側だけが知っている、この感じ。

 

 

ふたりの佇まいが、ふたりでこんなふうに買い物をすることに慣れていて、あたりまえすぎるようにあたりまえで、この後、帰って、ピザの感想を言いながら食べて、今日も明日もこんな毎日が続くと思っていてたぶん、90%ぐらいの確率で続いていく。その肩の力の抜けた人生への向き合い方が不思議な感じ。

 

 

・・・なーんて言っているけれど、わたしだって、こうやって自分が買い物をすることはあたりまえで、明日もあさってもそうだろうと思っているんだから、そこは同じなのです。いつだってあぐらをかくのだ。何ごともない日々に。わたしたちは。

 

 

そのあぐらを幸せっていうんじゃなかろうか。

 

 

私も袋詰めを終えて、エコバッグをよっこらしょと抱えて生花売り場の脇を歩いていたら、この夏、ダンナさんを失った高校時代の友だちMちゃんが昨日、「自分でもこんなに泣けるんだと思うほど大泣きしている」とLINEに書いていたことを思い出して胸にたまってた空気がグワンと360度回転する気がした。

 

 

ふたりともひとりになったね、と呼びかけてみる。

 

 

大阪に戻って時間が経つと、高知の山の深い緑とくっきりと青く広い空、市電の走る静かな賑わいが何度も蘇って、「行ってよかったーーー。いいとこだったー」との思いは強くなるばかり。

 

 

 

 

旅は、帰ったあとからジワジワと聞いてくる燃料だねえ。また、行きたい。また行こう。知らない場所を「もう、ここには二度と来ないだろうなあ」と思いながら歩いていると、人生と再契約している感じがする。

 

 

心のどこかでわかっている命の有限性を確認して、「大事にします」と誓う感じ。

 

 

わたしは、生きている。たくさん歩きながら、そう思いました。

 

 

昨日納品した原稿の戻しはまだ。この調子なら大きな修正はないんじゃないのお~と、またもあぐらをかいております。悪いクセ!

 

 

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