日曜日は、夫の一周忌でした。

 

 

朝、ストッキングを履くと、冷房を入れているのにじっとりと汗をかき、上まで引き上げるのに一苦労。

 

 

四十九日以来に着る喪服の背中ファスナーを上げるのも一苦労。あのときから一年も経っていないのに腕が錆びたみたいに動きづらくなっていて後ろに回らず上から引き下ろしたり、下から引き上げたり格闘して「あ゛――。ちょ、ちょっと上げて」ともう少しで娘に頼む寸前で何とか締まりました。

 

 

この調子でいくと、早晩、後ろファスナーの服、着れなくなると見た。

 

 

幼なじみにもらった手ぬぐいに位牌を包み、中学生のころから持っている大判スカーフに遺影を包んでいつも持ち歩いているペネロープの大きなトートバッグに入れ、「鼓月」で買った冷菓(あんみつや水羊羹)とそれを入れる籠(百均で買ったもの)を入れ、バケツに漬けておいたユリとリンドウの花束を抱え、数珠とお布施を黒いバッグ(だれかの結婚式の引き出物のカタログで選んだもの)に入れて、これまた久しぶりのパンプス(葬式寸前にイオンで買ったもの)に足を入れてあわただしく家を出ました。

 

 

「ああ。雄しべの花粉、切ってくるべきやった」

 

 

金曜の段階では固いつぼみだった百合のいくつかが開いて黄色い花粉がぽってりとふくらみ、隙あらば、何かに付着しようと伺っています。獰猛で、やっかいな花粉です。白いTシャツにでも付けたら大変。

 

 

「人のいない方に向けて用心して持つ!だれにも付けない!」

 

 

と声に出して言い、決意を固めて駅に向かいました。

 

 

母の葬儀のときもそうだったけれど、「儀式」というだけで気持ちが少し高揚し、前のめりになるのはわたしだけでしょうか。パンプスで足に角度が着いているせいもあってズンズン歩きます。

 

 

儀式は、「人生が変わることを受け入れざるを得ない時」に明確な輪郭を与えてくれるもの。やるべきことがはっきりしているので、感情が不定形に崩れるのを防いでくれる。

 

 

霊園では、事務の小柄でテキパキとした女性が、位牌も遺影もすべて受け取り「20分ほどしたらいらしてください」と言って去り、指示通りに行ってみるとパラソルと椅子も設置されていました。(こういうところ、最新型霊園のありがたいところ)

 

 

眼の前には微笑む夫の写真、見上げると山、背中側を見下ろすと街。蝉。蝉。空。ところどころ軽い雲。夏だ。蝉しぐれは、70年代の向田邦子脚本ドラマ「阿修羅のごとく」で演出家・和田勉がトルコでみつけてきた軍楽の響きに似て、ウギャーと騒ぎながら哀切。弔いに合う。

 

 

 

 

まだ若いお坊さんは、意外なほど美声。源氏物語のころも、こうやってお坊さんの「声」を品定めしていたのだろうな。「お経は声だ」と改めて思いました。

 

 

それから、お経と蝉の声を聞きながら山を見ていました。山はモリモリ深く、濃い。

 

 

お坊さんはお経を終えると扇子を広げて静々とお布施を受け取り、三回忌もまたよろしくと感じのいい笑顔で言って去りました。

 

 

無料送迎バスが待っているのでお供えのお菓子を急いで片付け(鳥害防止のため、食べもののお供えは持ち帰るルール)て、霊園の事務所に挨拶をして帰ります。

 

 

奮発したわりにはおいしくなかった会食の後別れた義姉が、帰りの新幹線から「あのお経の間、不思議と暑くなかったよね。落ち着いたやさしい時間だったなあと思いました」とLINEをくれました。

 

 

社交辞令であっても、確かに、あわただしく、あっけないなかにシンとした時間があったと私も思います。その記憶を胸に刻んでおこう。

 

 

こうやって一周忌が終わりました。ユリの花粉は、誰にもつけていないと思う。たぶん。

 

 

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夫が倒れてからのことを書いた本です。