娘の友だち(パキスタン人留学生)がうちに長逗留したお礼に、わたしと娘に居酒屋でおごってくれると言うので、お言葉に甘えて出かけてきました。

 

 

電車で一駅。そこから徒歩5分程度。時刻は午後7時。魚のおいしい人気の店で、仕事帰りの30代ぐらいの男女で大賑わい。あちこちのテーブルで仕事をテキパキこなしていそうな女性がカラダを左右に揺らしながらご機嫌に笑い、おしゃべりしています。もっとおじさんが多いと思っていたから、ちょっと意外な感じ。

 

 

「いいねー」

「みんなが楽しそうなのいいよねー」

 

 

なんてこっちもご機嫌に笑いながら、早く早くとメニューを開きます。おいしいものが食べられる期待ですでにうれしくなっているので何でも褒めたい。店の雰囲気もお客さんも全部がいいし、いいということにしておきたい。

 

 

娘の友だちは、「わたしは、行きました。大学のオフィスへ」と頭のなかで英語の並びを逐次日本語に置き換えながら、首尾よく進んだ奨学金の手続きについて話してくれています。

 

 

「英語の並びを日本語に置き換えて話す」姿は、とても一生懸命で好ましくて愛らしいので、私たちが「日本語の並びを英語に置き換えて話そうとする」姿も一生懸命で好ましく人柄がよく見えるのだろうと思いました。こんなに好ましくて愛らしいなら、自分の片言英語も恥ずかしがらずにもっとたくさん話してくればよかった。

 

 

あ。これから、機会をつかまえて話せばいいのか。

 

 

「とりあえず生中3つ」と言った後、ビニールの透明カバーで縁どりだけが布のぶあついドリンクメニューを見ると何ページにもわたる焼酎。焼酎の時代、続いていますね。そのあとに日本酒は1ページだけ。でも、それなりに揃っている。

 

 

死んだ夫がこういう感じの居酒屋に来ると必ず吟醸酒を頼んでいたから、メニューにたくさんの日本酒を見つけると「ここ、ここ、あった、あった!」とフードコートに空席を見つけたときみたいに教えたくなります。

 

 

そこには夫がいつも頼んでいた銘柄はなかったけど、少し鼻を鳴らして深く椅子に座り直し、襟元を整え、もう一度、おしぼりで手を拭きなおして「おお、そうですか」とおどけて言って大げさににこにこしてメニューに手を伸ばす姿が思い浮かびました。

 

 

つい「パパも連れてきたかったね」と言いそうになったけど、言いませんでした。

 

 

居酒屋は「母」で来るより「妻」で来るほうが楽しい場所だな。

 

 

眼の前に座る娘は、友だちに料理を取り分けたり、素材を説明したりと細やかに気を遣っています。私にも、きっと気を遣ってくれているんでしょう。若いころ、自分も親が同席するときは、見た目以上に気を遣っていたもん。

 

 

母親を仲間に入れることを厭わず、自然にうれしそうにふるまう「大人な二人」に感謝しようと思いました。どうも、人間には、家族が集ったときの「楽しそう」をそのまま「楽しい」と思い込む癖があるけれど、特に子どもが成長してからのそれは、一人ひとりが「楽しそうに見せる努力」を多少なりともしていることを忘れてはなりません。そして解散してホッと一息つくのです。(これは今、書きながら気づいたこと。書いてよかったよ!)

 

 

夫が「いないからできないこと」は、裏返せば「いないからできること」でもあって、夫がいたら、この友だちをこんなに長く泊まらせることはしなかったかもしれないし、こうやって居酒屋で食事をおごってもらうこともなかったかもしれない。

 

 

夫がいればできたことを片方で思い浮かべながら、いないからできることを重ねていく。

 

 

その日はまたうちに泊まっていったので、帰りにセブンイレブンに寄ってお菓子を買いました。娘は杏仁豆腐、友だちはカスタードたい焼き、わたしは塩&キャラメルポップコーン。夫はきっとダブルシュー。

 

 

家までの坂道をのんびり帰りました。

 

 

 

ライター必読。早く読めばよかった

 

 

 

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