わたしは、スーという5歳のオスの雑種犬を飼っています。18キロの中型犬です。

 

 

 

 

ときどきうちにやってくる人たち(たとえば、姉ちゃんとか)は、「癒しだねえ」「かわいいねえ」と言ってくれて、そのときは、「そうだろ、そうだろ。うちの犬は、世界で一番可愛いんだよ」と大変に満足するんですが、普段、そんなふうに思っているかというと、思っているときもあるけど、思っていないときのほうが多いのです。

 

 

思っているのは、だいたい、犬が大人しく寝ているとき。

 

 

執拗にくっついて撫でさすったり、匂いをかいだりして「ああ。出てる。出てるよ、オキシトシンが」と声に出したりします。

 

 

あとは、玄関で盛大に尻尾を振って出迎えてくれて、スリッパをひとつ、時によっては二つくわえては喜ぶ姿を見るとき。

 

 

料理をしていると知らぬ間に近くに座っていて(人間の)料理が出来上がるのを待っているとき。

 

 

…こうやって書き出すと結構あるな。でも、「仕方なく」が気持ちの大半を占めている時間が多いのも事実なんです。

 

 

散歩は、その代表例。よく歩く犬なので、1回1時間以上、1日2回(現在は娘と交代制)。みっちり歩きます。雨の日も風の日も。雪の日はすべって手首を捻挫しました。

 

 

 

あとは、ごはんに、歯磨きに、ブラッシングに、シャンプーに、各種ワクチンに。留守番をあまりさせられないので早く帰らなければならないという精神的束縛も、「仕方なく」そのもの!

 

 

先日、スーパーの前で立ち話していた女性(わたしよりちょっと上ぐらい)が、

 

 

「お父さんのごはんせなあかんやろ。そやから、はよ帰らなあかんねん」

 

 

と友だちにぼやいていました。ぼやくというより、事情の説明かな。

 

 

そんなもの、ダンナにやらせなさい。カップ麺でもコンビニのおにぎりでも置いてきて出ていったらいいの!自分でできないダンナもダンナ、嫌々ながらやり続けるあなたもあなた!

 

 

…と言うのはすごく簡単だし夫婦相互の自立を説いているようでスッパリするんですが、わたしは、そのとき、これも「仕方なく」の一つだなあと思いました。

 

 

夫婦の時間もたくさんの「仕方なく」でできているんだなあと。わたしもそうだったな。「仕方なく」は他者の受容でもあるから。

 

 

そして「仕方なく」は、「変わらない日常」と深く結びついているから、スッパリ切ったり、変えたりするのは難しいし、必ずしもいいことばかりじゃないんですよね。

 

 

だって朝起きてから寝るまでやっていることの大半は、「仕方なく」だもん。

 

 

「仕方なく」が減っていくに従い、人はひとりになっていく。
それは解放されることでもあるし、孤独になることでもある。

 

 

わたしにとってスーは、変わらぬ日常を支える繰り返しそのもの。せいぜい、仕方なく、かいがいしく世話したいと思います。

 

 

結論。スーはかわいい。

 

 

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