47歳のときに始めたブログは、「どうする?40代からのファッション&生き方」というタイトルで、どんな服装なら痛くないかとか、若作りに見えないかとか、素敵に年をとるにはどうすればいいかなどがメインのテーマでした。(そういえば、「痛い」という表現、最近は昔ほど聞かれなくなりましたね。当時は、すごく使われていた気がするなあ。あまりいい言葉じゃないから、使われないほうがいいけど)

 

 

同世代の方がたくさん読んでくれて、ブログはすごく賑わいました。

 

 

あれから、14年。わたしは61歳になりました。

 

 

今、このぐらいの年齢を対象にしたファッション指南の本を読んでも、「なるほどなあ」と思うもののあまり心が動きません。

 

 

最も多く見かけるアドバイスは、「この部分の違いで『おしゃれ』か『古いか』の差が出る」という切り口のもの。デニムやシャツのようにカタチが変わらなさそうに見えるものも微妙に変わっているから、そのまま着ていると昭和の人になっちゃうよ!みたいなやつ。

 

 

メイクも「その眉、昭和顔になっていません?」っていうの、多いですよねえ。

 

 

確かにそうなんだろうなと思います。わたしたちが思いつくまま買ったり、着こなしたり、気崩したりすると、どこかしら古くなる。人間が古くなっているんだから仕方がないんだけど、知らないうちに古臭さが忍び寄って垢抜けない。つまり、時代遅れってことになる。

 

 

でもなあ。

 

 

私にとっておしゃれの肝は、なんか、もう、そういうところにないんですよね。

 

 

流行をとらえた洗練されたヘアスタイルや服装をしているからといって、そこまで素敵だと思うかというとそうでもない。いや、素敵だなあとは思うけれど、そうでなきゃいけないとまでは思わない。

 

 

たとえば、質素倹約を旨として慎ましく暮らしている人が、ほとんど買い足していない古い服を、いつもきちんと綺麗に着ているのを見ると「この人はちゃんとしている。偉い。暮らしぶりもちゃんとしているんだろう。きっと年をとるとますます、このちゃんとした感がいい感じになっていくんだろうな」と思うし、

 

 

少しぐらい流行遅れでも、組み合わせが変でも、似合ってなくても、自分が若いころからずっと好きなものをあっけらかんと着続けて機嫌がよく、昭和の保管庫みたいになっている人も「面白いなあ。よくこんな組み合わせが思いつくもんだ。周囲に流されなくてあっぱれ!」と思います。

 

 

もちろん、根っからのファッションフリークで細部までこだわり抜き、一部のスキもなく、ださい人間を睥睨するように気どっている人も「ああ、本当にこの人は、おしゃれが好きなんだ。自分の美意識に自信をもち、少しでもそれに合わないものは受け付けないんだ。暮らし全般そうなのだろうな。そのこだわり、すごい!」となる。

 

 

つまり、「その人自身」と「服を選ぶ&着るという行為」の間に、時間をかけて独自の絆が育まれ、それが日常のなかで習慣化されていることに憧れに似た尊敬を抱くのです。

 

 

「おしゃれ」か「古いか」の二択は、どんどん古くなっていくしかない私たちの自信をジワジワと奪っていく罪深い言葉。

 

 

極端に言えば、手持ちのものでちゃんとする。好きなものでご機嫌でいる。

 

 

もう、それだけで十分という気がしています。

 

 

 

地曳いく子さんの新刊。読みました

 

 

 

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