このブログのほかに、ウェブマガジン「どうする?」Over40(略してオバフォー)をやっているのですが(本人、61歳だが。ごめんね)、その寄稿者のひとりであるゆみるさんとメールのやりとりをしています。
わたしもゆみるさんも夫に先立たれたという共通点があり、メールがある程度たまったら「夫亡きあとを生きる」という往復書簡としてオバフォーで公開したいと思っているんです。
その中身は公開後を楽しみにしてもらうとして。
ゆみるさんは、連載「黒ヤギ日記」にも書いておられますが、パートナーが亡くなった後、引っ越しをしています。そのことについてメールのなかで「転地療法という感じでしょうか」と。さらに続けて、ゆみるさんの先輩も、お父さんが亡くなった後、わりとすぐに「家を建て替えた」と書かれていました。そのことを先輩のお母さんも「気持ちが楽になった」と後に語ったのだと。
そうなんだなあ、と思いながら読んでいたら、「カリーナさんもご主人が入院されてからしばらくして、お部屋をリフォームされていましたよね」と。
はっ!確かに!と思いました。そして、もう一つ思い出したんです。それは、わたしの両親のことです。両親は、息子(わたしの兄)を幼くして病気で亡くした後、すぐに引っ越しをしています。わたしの生まれる前のことですが、その話を何度か聞いたことがあるんです。
こんな身近にいたじゃないか。転地療法を試みた人たちが!
そして、わたしも自分の冷淡さと変わり身の早さぐらいにとらえていた夫の部屋の片づけとリフォームが、ある種の「転地療法」だったのではないかと初めて気づいたのです。
「引っ越し」はできないから「変える」。過去との決別を見えるカタチにする。
夫が倒れて1年後のことです。意識不明とはいえ、まだ生きていましたから、私、何しているんだろうと思いながら、でもこらえきれずにやりました。必要だったんです。先に進むために。前を見て歩くために。夫のいない世界を作る必要があった。
もちろん、大切な人の空間をそのままにしておきたい人もいるでしょう。それは愛情のカタチとしてすばらしいことです。でも、もし、「転地療法」を心の底で望みながら周囲の気持ちに配慮して思いとどまったり、身勝手だと自分を諫めたりしている人がいたら、そうじゃないよと声を大にして伝えたい。
やむにやまれる衝動には、そのときには気づかない切実な理由が潜んでいる。それは、渦中には見えないのです。自分にもわかりません。
切実であればあるほど、その行動は身勝手に見える。薄情に見える。自分を救おうとしているからね。
もしかしたら、いろんなシチュエーションにあてはまることなのかもしれません。
リフォームですか。してよかったです。わたしも気持ちが楽になりました。
石井哲代さんの取材・構成を
担当しました
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