外出のついでに食材も少し買って帰って、えっと、エコバッグから出して冷蔵庫に冷やすものは冷やそう、その前にピアスをとろう、着替えもしたい…といつもの段取りを踏んでいたら、なんとなくソワソワと落ち着きません。

 

 

原因はわかっています。ビミョーにトイレに行きたいのです。

 

 

膀胱の奏でるサインが基調音。

 

 

全部片づけて落ち着いてからにしようと思ったけど、今、まさに今、トイレに行っといたほうがいい。今はこのぐらいの余裕でも、いつの段階で待ったなしの状態へ変貌を遂げ、「あああああ。トイレ!」と七転八倒することになるかわからないのだから。

 

 

ああ、めんどくさ。

 

 

…という具合に、自分の脳内で組み立てた段取りやこれまで慣れ親しんだ段取りが、自分の理性ではコントロール不能な生理現象によって仕方なく中断されたり、組み換えを要請されたりする。

 

 

この「コントロール不能」というのが、実は、老いの中核的現象なのではないかと思いはじめていますが、いかがでしょう。

 

 

自分のなかに、自分の行動を邪魔する敵がいる状態。

 

 

若いころは、年をとった人の行動(ゆっくりとした立ち上がりや歩行などなど)のすべてが「単に動きにくくなっていて遅い」のだろうと思っていました。が、自分が60代になってそれは実態とはいささか異なるということがわかってきました。

 

 

「パパっと動こう」とする脳の指令どおりに進まないわけです。カラダが。コントロールがうまくいかない。動きたい気持ちはある。指令も出している。だが、動かない。ずっと座っていると筋肉が石灰化したように固まって動かない。憎き敵め。

 

 

こういう細かいことだけではありません。

 

 

小学校からの幼なじみと久しぶりにゆっくり電話で話したら、糖尿病網膜症が悪化していました。糖尿病というと生活習慣病の代表のように言われるけれど、友だちを見ていると、そうともいえません。遺伝的・体質的な要素が大きいのです。

 

 

ずっと病院にも通って治療をしてきたけれど、なかなか思うようにコントロールできない。ストレスも大きく影響する病気だから、コロナ禍の家庭の状況も関係したでしょう。自分でコントロールできるかと言われると、そう簡単にはいかない。

 

 

わたしのこの数年も、自分ではコントロールできない状況にありました。

 

 

2018年9月に夫が倒れて意識不明のまま闘病し、昨年、8月に亡くなるまで。現在の状況だって、自分が招いた部分もないとはいいませんが、でも、コントロールできたかというとできなかった。

 

 

渦に巻き込まれてグルグル回って気づいたら岸に打ち上げられていた感じ←いま、ここ。

 

 

周囲を見まわすと、「自分以外の家族のこと」(自分以外ということだけで、そもそもコントロール不能)や「自分の思わぬ体調の悪化」で悩んでいたり、格闘したりしている人が多い印象です。

 

 

もう一度、細かい話に戻りますが、

 

 

昨日の大阪はすばらしい天気で友人親子ふたりと私と娘とで公園でランチを食べました。

 

 

 

 

友だちが持って来てくれたピクニックシートに座って、もう、最高!

 

 

のはずが…いや、最高は最高なんだけれども!

 

 

わたしはビミョーに「地面に座る」のがきつかったです。できれば、椅子に座りたかった。いま、膝が特別に痛いわけではなく、むしろ状態はすこぶるいいんだけども、それでも腰や膝がビミョーにきつかった。

 

 

コントロール不能現象、どこまでも、ついてきやがる。ふん。

 

 

ゴールデンウィーク。みなさんは、いかがお過ごしですか。自分の中の敵と折り合いをつけて楽しんで!

 

 

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