叔父(父の弟)夫妻は、仏事にとてもうるさい人たちでした。うちに来ると、仏壇のここはこうしなければならない、神棚の上にこれこれこういう紙を貼った方がいい、墓はこうこうこうしなければならない、法要はこうでなければならない。

 

 

うちに来るたびに、何かを見つけてはダメだしをして教え諭し、母は、「そうね、そうね。知らんかった」と言って聞き流したり、その場でやり直したりしていました。心中、めんどくせえと思っていたでしょうが、長男の嫁として「やるべきこと」とも考えていたのでしょう。

 

 

叔父は、悪い人ではなかったけれど、とりたてて人を大事にするわけでもなく、次男なので自分がお金を出すわけでもなく、なぜ、こんなに先祖についてうるさいのだろうと子どもながらに思っていました。そして、なぜ、こんなによく知っているのだろうと。その情熱はどこから来るのだろうと。

 

 

昨年、夫を失って思うのは、「人はある年齢から、死者とともに生きる」ようになるということです。もちろん、子どものころに身内を失って早いうちから死を意識しなければならなかった人もいるでしょう。抽象的な見知らぬ「死者」ではなく、「この前まで人生をともにしてきた近しい人」としての「死者」と生きるということ。

 

 

わたしの父母は、子ども(わたしの兄)を亡くしていたので、叔父夫妻以上に「死者」を身近に感じていたはずです。しかし、「わが子」と「先祖」はどこか別だったのかもしれない。

 

 

わたしも夫は、先祖の一人ではありません。

 

 

核家族ということもあるでしょうが、先祖ではなく、あくまでも夫なのです。

 

 

抽象的な「ご先祖様」は、生者が納得できるように、思う存分、大事にすることができます。こうすれば、ちゃんとしていると生者が満足できるまで供養できる。死者はクレームを言わないからです。

 

 

供養は、愛情や追悼のカタチを、好きなだけ自分本位に示せる行為でもあり、また、形式化することで他人の間違いを質すことも可能になります。

 

 

叔父は、うちの父母の間違いを質したい欲求がちょっとあったのでしょう。やたらと形式にうるさい人の心には、ちょっとした鬱屈が潜んでいることが多いものです。

 

 

永代供養という形式が一般化しつつあるのは、わたしたちの「墓」が先祖にも、子孫にもつながらなくなったことを示しています。いい悪いは別に、そんな時代を生きて死んでいくのだと知っておいたほうがいい。

 

 

今週の日曜日、義兄たちが夫のお墓参りに来てくれたのですが、線香を上げるとき、義兄が「ああ。いい線香だ」とつぶやきました。

 

 

私も「いいでしょう。もらいものなんです」と言いました。線香の香りについて共感しながら語り合う日が来るなんて思いもしなかった。

 

 

時間とともに、人生の風景は変わっていくものです。

 

 

先人の残した「形式」にときに頼りながら、ときに距離をとりながら、夫という柔らかな死者と柔らかい心でつきあっていきたいと思います。

 

 

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