完全ドキュメント「北九州監禁連続殺人事件」(小野一光著)の書評を書きました。

 

 

共同通信社から配信され、すでに一部の地方紙には掲載されています。もし、見かけたら読んでみてください。

 

 

北九州監禁連続殺人事件は、今からおよそ20年前に発覚した起訴されているだけでも7人(5歳から61歳まで)が松永太という一人の男が主導する激しい搾取と虐待の果てに殺害された事件です。覚えている人も多いだろうし、思い出すのも嫌という人も多いでしょう。

 

 

書評では、「被害者家族は、いつなら逃げられたか」「いつだったら間に合ったか」を追いながら読み、そのことを書きました。「ここしかなかった」というポイントをあげています。

 

 

そこでは触れなかったのですが、いくつも、ああ、こういうところだ。こういうところに気を付けないと思った場面があるので、そのうちの一つについて書きたいと思います。

 

 

松永たちは、事件発覚寸前に、あるカラオケ店の若い男性に近づきます。身分を偽って、やさしいおじちゃん&おばちゃんとして近づき、小遣いを渡したりするのです。

 

 

この若い男性が新居に引っ越すと、そこへいきなりやってくるんですね。確か焼き肉の材料とお酒とおつまみを抱えて。引っ越し祝いに掃除機もプレゼントしてくれる。

 

 

男性は、いきなりの訪問に驚きつつも、部屋に招き入れ、あれこれ食べさせてもらって、ベタ褒めされて、酔っぱらって寝てしまう。

 

 

ふと目覚めると松永たちは、なんと熱心に掃除までしてくれていたそうです。(男性の弱みを握るための家探し的なものだったのでは?と書かれています)

 

 

男性は、松永に悪い印象をもっていません。

 

 

ちょっと強引だけど、うれしいことをしてくれる男気あるおじちゃんと思っていたみたい。

 

 

掃除機は欲しかった。焼き肉もおいしかった。お酒もうれしかった。お小遣いももらった。いつも褒めてくれる。

 

 

「頼んでないけど、ありがたい」の積み重ねです。

 

 

「頼んでないから、ありがた迷惑」と受け取るのか。
「頼んでないけど、ありがたい」と受け取るのか。

 

 

相手のペースで続く「ありがたい行為」の積み重ねは、いつしか自分を束縛する網の目になり、その網の目は次第に細かくなり、身動きがとれなくなる恐れがあります。ずっと「やってもらってばかり」だったから、負い目ができて、何となく「NO」と言いづらくなるのです。善人であればあるほど「何かお返ししなければ」と思ってしまう。

 

 

でも、そもそも、やってもらったことのどれ一つも「自分は頼んでいない」のです。

 

 

この若い男性は、松永らの逮捕で難を逃れましたが、もしかしたら、あの部屋に導かれ虐待の末に殺されたかもしれません。彼の家族も財産のすべてをむしり取られたかもしれないし、そのうちの誰かは命を落としたかもしれません。

 

 

相手のペースで押しつけられる「親切の重なり」に、少しでも「不自由」「息苦しさ」を感じたら危ないです。

 

 

断ろう。断れないなら、逃げよう。

 

 

そんなことを震えながら学ぶためにも、本書をオススメします。(猟奇的な表現は、抑制されているため、怖がりさんも大丈夫!)

 

 

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