夫が倒れて意識不明になったのが2018年の9月。翌年、娘が留学先から戻り、大学最後の年を過ごし、再び就職でシンガポールへ行ったのが2020年8月。

 

 

そこからほぼ2年を一人で過ごし、昨年6月に娘が帰国。2か月後の8月、夫が亡くなりました。

 

 

今週月曜に娘が長期の海外旅行に出発しました。

 

 

そして、気づいたのです。

 

 

あ。本当に夫がいない、と。

 

 

夫は脳出血で倒れて以来、意識が戻ることなく急性期病院から回復リハビリ病院、療養型病院と移り、家に戻ることはありませんでした。

 

 

夫はずっとこの家にはいなかったのです。

 

 

しかし、「用事」がありました。急性期から回復リハビリ病院までの期間は、まだコロナウイルスの感染が始まる前だったので毎日病院に行っていたし、療養型病院にも途中までは通っていました。面会ができなくなっても多くの家族がそうであるように、週に2回、洗濯物を届けに行ったり、時期によっては短時間面会したり、オンライン面会したりしていました。

 

 

洗濯、アイロンかけ、新しいパジャマやタオルの準備、もろもろの小物の調達、お医者さんや看護師さん、介護士さんとのやりとり、病院から突然かかってくる電話に何事かと身構えて出ること…。

 

 

それらの「用事」は、娘が帰国したことでおのずと増えた用事や、夫が亡くなった後の諸手続きやお参りしてくれる人のもてなし、墓の購入などの用事で幾分かは代替されていたのでしょう。

 

 

年明けとともにうっすらと勘づいてはいましたが、娘が月曜に旅行に出て、はっきりとわかりました。この家のなかには、これまでと違う静けさがあります。

 

 

いや、家はいつものままで、わたしの心のなかが違うのだと思います。

 

 

「誰かがいる」ということは、誰かを想定した「用事」があること。

「誰かがいる」ということは、わたしの日々の心づもりや行動のすべてに、その「誰か」を想定した「用事」が織り込まれているということ。嫌々であれ、面倒であれ。うんざりであれ、自分の気持ちに関係なく「用事がある」のです。

 

 

究極のひとりは、「用事がない」ということなんだ。

 

 

言葉にすれば、ノンキな太平楽でしかない、その気楽さの茫洋とした地平。

 

 

人の死は、すぐに表れるものじゃない。死は徐々に表れ、さまざまな弔いの儀式や手続きを繰り返しながら、静かに数を減らし、「故人」へと定着していくのです。

 

 

いま、夫の死をひとり胸の底で受けとめています。

 

 

「孤独」や「一人暮らし」は多く語られていますが、そこには、さまざまな層がある。「楽しむ」とか「充実している」といった言葉だけでは語れない深い穴の底もある。

 

 

そんな覚悟もしながら、生きていこうと思います。

 

 

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