新聞に「おしゃれをしろと言われましても」という12回連載を書いて、改めて、「おしゃれって何だろう?」と考えるようになりました。
世の中には、おしゃれ指南の本や情報はたくさんあるし、さまざまな診断法で個人的にアドバイスしてくれるビジネスもあります。
共通しているのは、「おしゃれは、いいもの」という前提。
いや、そりゃあ、いいでしょ。おしゃれしたほうが自信もつくし、楽しいし、周囲もうれしいし…
とは思うんですよ。思うんですけど、
たとえば、「積極的な人がよい」とされてきたなか、消極的だったり、シャイだったりすることを肯定的にとらえる本が出てきたり、周囲のあれこれに気がつきすぎて疲れる人を「もー、細かいことを気にしすぎー!」と雑に片付けるのでなく「繊細さん」と名づけて、その特徴や対処法を考える本も出てくるなど、これまで「できないほう」とされてきたものを本当にそうか?と見直す動きも各方面である。
でも、おしゃれについては「おしゃれじゃない」「おしゃれが不得意」「その気はあるが長続きしない」というような人たちは、「できないほう」という位置づけのままで、「おしゃれな人から教え導かれるべき存在」。
本人も、なんとなく引け目を感じて「いやあ、センスがなくて」「体型に自信がなくて」「何を着ていいかわからなくて」とか、つい弁解してしまう。
それ、ほんとに必要かな。
特段おしゃれでない人を、いい感じで命名したら変わったりしないかな。「素朴さん」?違うな。「それなりさん」?ダメダメ。案外、「ニュートラルさん」とか、そんな意味合いの命名がいいんだろうなー。
夫が倒れて亡くなるまでの4年間、いろんな医療・福祉関係の人に相談してきたけれど、その人たちのなかに見惚れるほどおしゃれな人はいなかった。もし、いたら、どうだっただろう。
わたし、少し緊張したかも。
特別におしゃれじゃない人、何を着ているかが印象に残らない人の与える「安心感」ってあるんじゃないだろうか。気を許せる感じ、ほっとする感じ。実務的な感じ。「生活」を知っていて、そこでぶれない感じ。
そんなことを思っていたら、今年58歳の若さで亡くなった山本文緒さんの「自転しながら公転する」に、歌人の枡野浩一さんが書いた書評を見つけました。タイトルは、「いまはもう、森ガールじゃない」。(いいタイトル。以下、抜粋しますがとてもいい文章なのでぜひ全文を読んでみてください)
毎日熱心にみているマッチングアプリの自己紹介欄には、好きな作家として山本文緒の名前を書いている。名前と職業は伏せているけれども、写真は私自身の近影だし、51という年齢も183という身長も本当の情報を書いている。
(中略)
真実の書かれた小説は人生に傷を刻み、傷が行動を促すことがあるような気がする。そのマッチングアプリで私が実際に会ってみた人は0名なのだが、それを変えてみてもいいのかもしれないと思った。《お洒落な人って狭量な面があると思います》といった、戦慄のキラーフレーズにびっしり付箋をつけた本書を見せたら、笑われるだろうか。
《お洒落な人って狭量な面があると思います》といった、戦慄のキラーフレーズ
あ、そう、それ。だれしも、うっすら感じていると思うんだ。うっすらと。憧れとともに、うっすらと。
というわけで、もう少し「おしゃれとは何か」について「すべきもの」という固定観念からできるだけ自由になって、じっくり考えたいと思っています。ブログにも、ボチボチ書いていきますねー。
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