こちらの記事に書いたように、8月9日(火)に3年11カ月の闘病を経て、夫が亡くなりました。

 

 

火葬場の関係で告別式は、8月13日(土)14時からに。亡くなった瞬間から、この日までは、悲しいとか寂しいとか空しいとか感じる間はなく、ただひたすら、「無事に告別式を終える」という目的に向けて走りつづけました。

 

 

夫の親族がコロナ禍ということもあり参列しないことがわかったので、脳裏には、わたしと娘だけの葬儀も浮かびました。それでもいい、と思いました。それでもいいけれど、これまで寂しい思いをさせてきたので、最後ぐらい賑やかに送りたいとも思いました。コロナ禍ではあるけれども、ぎりぎりまで希望は捨てるまいと決めました。

 

 

わたしはいつも、思わぬ出来事に巻き込まれると、どこかの段階で「こうする」と決断して猛然と動き出すクセがあるのですが、今回は、電波の悪い病院から外に出て、生ぬるい風に吹かれながら夫の実家と話しているときに、心が決まりました。

 

 

わたしが、わたしの手で夫を送る。夫らしい葬儀をする。

 

 

翌朝、再度病院を訪ねて死亡診断書をもらい、その足で葬儀場に打ち合わせに行きました。夫の眠る隣で打ち合わせです。基本プランを決めて、その後、花から棺桶から着物から一つ一つ選んでいき、総額が積算されます。告別式のみの一日葬なのに目の玉が飛び出るほど高く驚きました。心が揺れます。

 

 

「すみません。高すぎます。これぐらいの金額に納めてください」

「もう一度、見積もりをし直しますね」

 

 

再度、見積もりが出ました。まだ高いと思っているけれど、「わかりました」と言いました…言いはしたもののやはり高い。高すぎます。大手葬儀社ゆえでしょう。しばらくじっと座って迷ったものの、「かっこ悪くてもいい。嫌われてもいい」と思って廊下に飛び出し、事務所に帰ろうとする担当者の人を追いかけて「すみません!やはり高いです。基本プランをもうひとつ下げてください」とお願いしました。

 

 

担当者の人は、イヤな顔もせず、再度見積もりを出してくださり、わたしは、家に帰り、遺影に使う写真を選んでメールで送付したのですが、もう一度、見積書を見て「親族一同の花」など何点かを削除してくれるよう頼みました。

 

 

「みなさん、頼まれますよ」と言われましたが、「いいです。うちにはいりません」と言ってさらに少ない金額にしてもらいました。結果的に花は親族や友人からたくさん届き、夫は花に埋もれた白雪姫のようになりました。断ってよかったです。

 

 

次は、どれぐらいの人が参列してくれるかです。

 

 

夫とともに起業したパートナーから、「お盆で参列できない人もいるが20名以上は行く」という電話が入りました。同じころ、夫の大学時代の友人から「自分も含めて各地から複数駆けつける」とメールが入りました。わたしのマンションの友だちも参列してくれるとLINEをくれました。トータルすると最低でも50人にはなりそうです。(最終的には70人になりました)。

 

 

それが、葬儀の2日前です。「もう大丈夫だ。寂しくならない」と確信しました。そして夫とともに起業したパートナーと大学時代の友人に弔辞を読んでほしいと頼みました。それぞれが思いを溢れさせながら、ユーモラスな言葉をかけてくれるに違いないと思ったからです。別れの涙だけでなく、「少し笑いの漏れる告別式」というわたしの理想に近づける。そう思ったとき、初めて少し泣きました。夫に顔向けできると感じたのかもしれません。

 

 

娘は、夫の写真を選んでアルバムを作ったり、フライフィッシングのベストや釣り道具を飾ったりしてメモリアルコーナーを形にしました。夫の姪は、棺に入れる蓮の花の折り紙を大量に作って持って来てくれました。

 

 

当日、夫の友人の弔辞は、わたしの思い描いた以上にユーモラスで愛情のこもったものでした。クスクスという笑い声と嗚咽の両方が聞こえました。

 

 

 

最後に、わたしは、「3年11カ月という決して短くない時間、夫のことを忘れず、友情を保ってくださったことに心から感謝します」と、ずっとずっと伝えたかったことが言えてほっとしました。

 

 

葬儀代は、値切りまくったように書いていますが、総額135万円(税抜き)でした。決して安くないけれど細やかな配慮があり、進行もスムーズ、コロナ対策も万全で満足しています。その後の営業もまったくありません。

 

 

いまだに「悲しみ」というものが、どんな感情か、よくわかりません。

 

 

さっき、テーブルの上の冷たい緑茶が午後の光に映えていたので「翡翠みたい」と言うと、娘はちらっとグラスを見て「白ぶどうジュースみたい」と言いました。

 

 

その瞬間、夫と交わすはずだった何万、何千万、何億という何気ない会話のすべてが、言葉にならないまま葬られたことにハッとして息が詰るような思いがしました。ともに歩くはずだった目の前の大地は崩落しました。

 

 

足下に奈落を感じながら、ゆっくりゆっくり迂回して生きていこうと思います。いつしか、その迂回路もまた楽しくなるでしょう。大丈夫。わたしは、決めたらやるのです(笑)。

 

 

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