ほんのちょっと前までウィッグについてあれこれ書いていましたが、夏はさすがに暑いのでまったくかぶっていません。

 

 

まったくかぶらずにどうしているのかというと、長い髪をそのままひっつめて後ろで一つにまとめています。いわば、「素頭」。

 

 

こんなふうに一つに結んでいるだけ↓

 

 

さんざんウィッグをかぶり、フサフサ髪を心ゆくまで体験すると、それをはずした後の「素頭」もなかなか悪くないと感じるのだから、人間の心というものは、つくづく不思議です。ウィッグをとったあとのひっつめ髪は、舞台を降りたプリマバレリーナのように見えなくもなし(笑)

 

 

ああ、この顔にはやっぱりこの髪だな。長旅から帰って「ああ、家が一番!」と大きく息を吐きながら、つい口にしてしまう感覚に似ているのか。古巣に戻ってきた感。

 

 

新陳代謝で生え変わっているとはいえ、長年、ともに人生を歩んできた戦友としての頭髪。度重なる戦いで心身をすり減らしたような、この頼りない「薄さ」。薄さと老いのバランス、見方によっては絶妙なり。

 

 

冬になれば、また「そそ、ウィッグよね」となるのでしょうが、いまは、「薄い髪も、それなりによし」というある種の自己受容といいますか、老化受容の状態にあります。頭頂部に粉(ミリオンヘア)は降っているんですけどね。

 

 

薄毛隠しに愛用

 

 

 

 

ノースリーブもよく着ています。ボレロやカーディガンを羽織るのは好きじゃないので腕は出したまんまです。

 

 

若いころと違って腕とバッグが触れ合うあたりや、腕を胴体にグッと引き寄せたときの接点に細かい「ちりめんシワ」が寄り、「わーー。おばあさんの腕だあ」と思うけれど、気にしないことにしてます。ノースリーブのカタチが好きで着たいから着る。夏にしか楽しめない服装を楽しみたい。

 

 

「ババアのくせに腕を出すな」というほど誰も関心をもっている風もないし、つまり、誰もみていない。自分の老化に一番厳しいのは、自分自身なのです。

 

 

去年、このワンピースの鮮やかなブルーを買って、今年は色違いで黒を買いました。首にストールをグルグル巻いて腕の露出とのバランスをとっているつもりです。

 

 

これです

 

 

 

ウィッグをつけたり、はずしたりしてみて「おばあさんに見えるのは、必ずしも悪くない」ということに気づきました。

 

 

両方楽しめると知ったことは、思わぬ発見でした。ウィッグもよし。薄毛も、またよし。

 

 

「ああ、老けたなあ」と思うことに少しずつ慣れて、過度にがっかりせず、ちゃんと「おばあさんの顔」を作っていきたいです。

 

 

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