仕事の合間に時間があったので、久しぶりにカフェに立ち寄りました。隣には、20代前半の女の子二人。弾む口調が楽しそうで、つい会話を聞いてしまいます。

 

 

どうも、片方の子の友だちが結婚を前提に同棲しているのだが、その彼氏にモラハラ傾向があるのではないか、と心配しているようです。たとえば、その女の子が疲れて寝てしまっていると、遅くに帰宅した彼氏が長々と理詰めで叱責するとか…そんな感じらしいのです。

 

 

「でもな、普通は優しいみたいやねん。自分は、もう、ごはん食べてるのにLINEでたまたま『食べてない』って伝えたら、一人分のごはんを作って待っといてくれたりとか」

「えええ。やさしいな。自分がもう食べてたら、普通、作りたくないよな」

「そうやねん。めっちゃ感動してた」

 

 

なるほど。そういうところもあるのかと思いつつアイスコーヒーに飲んでいると…

 

 

「でもな・・・そのごはん、そんなにうれしい?」

「・・・」

「うちやったら、それ、そんな言うほどうれしないわ」

 

 

むむ。なんか、本質的なことが語られつつあるような気がするぞ。

 

 

「別に寝ててくれていい。てか、そっちのほうがいい。ごはんなんか、コンビニで買っていくし」

「ああ、そやな。ほんま、それや。喜ばなあかんもんな」

「そやろ。そんな『喜ばなあかん』ことがたまにあるより、ふだんが楽しいほうがよくない?なんもなくていいから、ラクなほうがいい。サプライズとかほんまいらんし」

 

 

サプライズとか、ほんまいらんし。

 

 

良好な関係の本質が語られていると思いました。

 

 

「サプライズ」は「喜ぶに違いないという期待」とセットになっているので、与えられた側は、「喜ばない」という選択が非常にしにくい。「戸惑い」から「歓喜」へ無理やりショートカットして感情を急上昇させなければなりません。

 

 

もちろん、誕生日など特別なときなら記憶に残るプレゼントになることもあるし、場合によっては最高の思い出になることもあるでしょう。ただ、彼女が言うように普段の暮らしのなかでは、相手が自分にしてくれたことに「喜ばない」という選択肢がないのは非常に息苦しい。

 

 

眠たければ眠る、料理したくなければしない、掃除したくなければしない。グータラがいいとは思っていないけれど、律するときは、自分で律する。そんなふうでいられる関係のありがたさ。多少、お互いがブーブー言いながらも、互いを大目に見て、許しあって「どうすれば、今よりちょっと快適になれるかな」と気が向いたときにざっくばらんに話し合える関係のすばらしさ。

 

 

喧嘩が恐怖ではない関係の穏やかさ。

 

 

誕生日のプレゼントがさほどうれしくなければ、身につけないで放っておける。なんなら、なくしてしまっても大丈夫。

健康なんかを心配して、あれしろ、これしろ、と言われることはあるけれど、基本、放っておいてくれる。

 

 

喜んでも、喜ばなくてもいい。

飛び上がってうれしいこともないかわりに、イヤなことはない。

基本、この家が一番、ラク。

 

 

ラクな人間関係に勝るものなし。特に家族。

 

 

「でもな・・・そのごはん、そんなにうれしい?」という問いは、ものすごく平易な言葉だけど、自分を守る最強の言葉だと思いました。若い女性、そのままでいけ。

 

 

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