来週、約2年ぶりに娘が帰国します。正確にいうと1年10か月ぶり。

 

 

それだけの時間、犬のスーと二人で暮らしました。

 

 

犬とはいえ、二人きりだと煮詰まります。夫が元気だったころ、私が娘と実家に帰ると「僕もパロン(先代犬)も煮詰まってるよ」とよく言っていました。

 

 

煮詰まる、っておもしろいですね。何となくわかるけど、説明の難しい感覚です。

 

 

確かにスーと二人きりだと、わたしも煮詰まるし、スーも煮詰まると見え、誰か友だちがやってきたり、散歩で会ったりするとものすごく喜びます。特に散歩のときなど会えるまでウロウロしたり、じっと待ったり…。よほど、「飼い主以外の誰か」が恋しいのでしょう。その誰かが主に人間なのが、犬らしいというか、なんというか。

 

 

スーは、散歩ではグイグイ犬ですが、家ではサイレント犬でほぼ置物です。ずっとソファにいてほとんど動きません。だから、気にならないともいえるのだけど、昨日のように雨だと「ああ。散歩だけが唯一の気晴らしなのに、こんなに寝てばかりで退屈するよね。かわいそうに!」と胸が痛みます。たかが一日の雨で大げさに哀れむのも、「煮詰まり」の一現象なんでしょうね。

 

 

つまりは、空気が動かない、ということなんですね。煮詰まる、というのは。

一定の気分に陥ると、外部からの刺激がないので、そこから動かない。脱出しにくい。

 

 

…とここまで書いて気づきましたが、スーと1対1で煮詰まりはしたものの、スーがいなければ、この1年10か月はもっと煮詰まっていたに違いありません。スーを気遣い、散歩に行かなければならないという仕方なさや逃れなさが「一人が生む煮詰まり」の重症化を予防してくれました。

 

 

これからしばらくは娘と二人になりますが、「煮詰まり」が、人間関係や生活そのものの「動きのなさ」から生まれるとしたら、これからもしばしば、頻繁に煮詰まりそうな気がします。

 

 

心に動きをつける、って大事なんだなあ。

 

 

日々の暮らしや人間関係にちょっとでいいから変化を!

 

 

常に新しさを求めると無理することにもなるので、今のままで、あっちに少し行き、こっちに戻ってみて、しばらくしてまた移動する…なんて小さく変化をつけることを意識的にやってみるといいのかもしれません。比喩的な表現でごめん。

 

 

午前5時半になりました。スーと散歩に行ってきます。動きのある一日を!梅雨もまたよし。

 

 

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