わたしは、ある集団のなかに一定時間いると、その人たちがよほど意地悪でない限り、段々と好きになっていきます。もうすぐマンションの役員も任期終わりを迎えるため、月に一度ぐらいしか会わなかったけど、顔の区別もついてきて、少しずつ人となりが見えてきて、名残惜しいような、愛しいような気がしてきました。

 

 

こうやってコミュニティ愛は育まれていくのですね。

 

 

さらにわたしは、「いつ見ても犬の散歩をしている暇そうなおばさん」にしか見えていないので用事を頼みやすい。でもって頼まれたことはサクサクとやってしまう、意外に有能な人物でもあるため、自分で言うのもなんですが、かなり重宝な部類のおばさんなのです。

 

 

というわけで任期も終わりにさしかかり、愛しさで胸がいっぱいになっているのですが、本日午後、役員Aさんからもらった電話に「仕事中ですが、短時間ならいいですよ」と答えてしまいました。別にどうということのない返答に「答えてしまった」と書いたのは、口調が、いつになく事務的、ややつっけんどん寄りの事務的になってしまって後悔しているからです。

 

 

実際、今日は夫の病院に行き、その後、明日締め切りの仕事。3月からはまた別の仕事が始まるので、それまでに確定申告を終えておきたい…とふうで余裕がありませんでした。

 

 

でもなあ。Aさんの「お仕事中のところ、すみませんでした」という口調がちょっとしょんぼり聞こえた。すでにリタイアして長いAさんにとって「仕事」という言葉は、強いインパクトをもったのかもしれない。大企業の辣腕ビジネスマンだったらしいし。

 

 

高齢化するマンションの町内会的空間では、現役世代が口にする「仕事」という言葉は、まぶしいような、問答無用のような、ある種、特別な響きをもつんですよねえ。それを聞くリタイア組の反応には、かつての忙しかった自分を尊重するような、時間的ゆとりのある今の自分を謙遜するような、そんなニュアンスもある。

 

 

「仕事」という言葉には、人をひれ伏させる力があるんだなあと思いました。

 

 

邪魔しちゃいけない。優先しなくちゃいけない。何より、よほどのことがない限り休めないもの。

 

 

そういえば、亡父も義理の息子(わたしの夫)に「仕事はどうね?」「仕事で疲れとるやろう」と仕事方面を集中的に労わり、持ち上げておりました。すごいな、特別扱い。

 

 

「仕事が(で)忙しい」という言葉は、取扱い注意。あらゆることに関与しないで済む免罪符にもなる。わたしは、できるだけ使わずに、ふにゃふにゃとした佇まいで、やることやっていきたいです。

 

 

Aさん、ごめん。また電話ください。

 

 

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