バラエティ番組で売れっ子のお笑い芸人さんたちが出演しているのを見ると、「ああ、これぐらいの年齢の人たちが、一番、声の大きな年代なんだなあ」と思います。
30代後半から50代半ばぐらいまで。
もう若くないという嘆きや「おっさん」であるということも含めて大声で勢いよく語り、笑い飛ばしています。自分たちの世代的共通体験(テレビ番組や音楽、ゲームなど)についても、「懐かしさ」を誰はばかることなく無邪気なまでに全開にして語っている。それを知らない下の年代を、「若い!」で済ませることができ、それを知らない上の年代は「お年寄りだから」で済ませられる。いわゆる「現役」と呼ばれる無敵の年代です。
自分を振り返ってもそうでした。
ブログを始めたのは、47歳。ブログなので声は出さないけれど、質感としては「大声」だったと思います。おばちゃんになってしまったこと、似合う服がないこと、女性として見られないこと、更年期を迎えたことなどを「みんな!!みんなもそうだよね!」という感じで、堂々と、意気揚々と、元気いっぱい語っています。悩みも悲哀も、葛藤も、滑稽さも、すべてが大声だった。
そこから、声は、次第に小さくなっていくのです。
自分が懐かしいと思うものが、「知らない」と一蹴されるものになりつつあるのをうっすらと感じはじめたとき。自分の懐かしさが「昔」と総称される、もう、「終戦以降いっしょくたのALWAYS 三丁目の夕日的世界」にとりこまれるのを感じはじめたとき。自分の未来が「老後」と呼ばれることを自覚しはじめたとき。年下の視線から自分への無関心を感じはじめたとき。
キレて激高する高齢男性は、迷惑極まりないけれど、あれも、「声が小さくなる」ことの反動と思えば、切なくもあります。どれだけ大声で叫んだとしても、社会的効果としては、歯ぎしりレベルの「小声」。その潜在的苛立ちが、幼児性と相まってあんなことになるんでしょう。同情しないけど。
そう。おそらく、これから、どれだけがんばっても声は小さくなっていきます。声が小さくなりはじめてからの、たとえば20年。たとえば、それからの20年。心を寄せるものを見つけ、静かに声をかけて、確かな実感とともに生きていきたい。
その対象は、このわたし自身でもあります。
このブログを、その実験の場にしたい。
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