心臓の検査は大丈夫でした。コメントくださった方々、ありがとうございます。このオフィシャルブログは直接、返事が書けない仕様になっているそうです。申し訳ない。ツイッターで話しかけてもらうと比較的すぐにお返事します。もし、気が向いたら、フォローしてみてください。

 

 

心臓CT検査の前には、「造影剤を入れるとカラダが熱くなるけれど心配いりませんからね」と何度も言われます。この「熱くなる」、お酒を飲んだときに頬が熱くなる感じや、更年期のホットフラッシュ的なもの(私は経験していないですが)、高熱を出してカラダ全体が熱い感じ、サウナに入って熱い感じ…などのどれだろうか?ぼんやり想像して本番に臨みましたが、そのどれとも違っていました。「これから造影剤入れますよー」と言われて腕のチューブから注入される。すると、本当に、カラダの上から下にかけて熱い液体が帯状に通り抜けていくのです。帯状というのがポイント。比較的広い「面」となって通り抜けるのです。一番、驚いたのは、お尻のあたりにきたとき!「はっ?わたし、お漏らしした?」と不安になったほどです。おもらし独特のぬくい温度とジワッとする広がり、あれでした。人間の体っていくつもの支流によって構成される河川なんだ、と思った。肉体は、血液が滔々と流れる河川です。

 

 

梅雨とは思えぬ快晴が続き、この後に控える「夏」の暑さにリアリティが出てきました。何度も夏も、冬も経験しているはずなのに、冬には夏の暑さが、夏には冬の寒さが信じられなくなる。「そんな季節、あったっけ?ニットなんかいらないんじゃね?」と毎回思う。不思議なものです。今年もようやく夏の訪れと暑さと汗をリアルに想像できるようになったので、少し模様替えをして涼しくしようと思いました。

 

 

リビングに敷いている厚地のカーペットをもう少し涼やかなものに変えたい。あ、そうだ。キッチンに敷いている目の粗い青いラグを洗って敷くのはどうか。いいぞ、いいぞ、そうしよう。さっそくラグを洗って干し、リビングのカーペットを片付けようとしたところ、ソファが自分一人では動かすには重すぎることに気づきました。

 

 

その下に敷きこんであるカーペットをとりのぞくには、ソファを持ち上げる必要があります。がんばればできる。無理をすればできる。しかし、すでに微妙に腰が痛い。これ、秋にもう1回やるのか。やるのか。やれるのか。

 

 

しばらく考えてやめました。いつか人手のあるときにしよう(まあ、それは娘が帰国したときなんですが)。そのときに、この敷き込み型のカーペットでなく、ソファの前に敷くやや小さめのラグに変えよう。それなら、夏と冬で模様替えしやすいじゃないか。今後の課題を心にメモして撤退。

 

 

クッションは変えました。(モロッコ風。別段、夏っぽくなし)

 

 

 

 

爽やかな夏仕様にしてすっきりしたかったけれど、意固地になって貫徹してしまうがんばりや負担はロクな結果を生みません。今後は、生活のさまざまな場面で自分の可動域を計りなおし、少し広げたり、少し狭めたりして、自分ひとりで暮らすわたしなりの適正サイズを把握したい。

 

 

そうそう。少し前にコメントで教えてもらった都築響一著「独居老人スタイル」。のっけから、アーティストの秋山祐徳太子の言葉「片づけるってのは消極的なことですよ」から始まり、都築氏の「前に伺ったときは、ところどころ床が見える状態でしたけど、徐々に標高が上がってきた感がありますよね」。標高って(笑) 想像力の可動域、広がります。

 

 

 

型にはまらず、自分で型を作りたい。ときに撤退しつつ。

そんなことを思う日々。