今日からこちらにも書いていこうと思います。これまでのブログはこちらです。

 

ブログタイトルの「ともに生きる」には、2018年に脳内出血で倒れて植物状態にある「夫とともに」をはじめ、「犬のスーとともに」「友人とともに」、さらには「孤独とともに」「季節の移り変わりとともに」など…あらゆる「ともに」を含めました。これまでのブログより長文で、あまり形式にこだわらず、自由に書いていけたらいいなと思います。よかったら、おつきあいください。

 

一昨日の夕方のことです。

 

スー(雑種犬・オス・3歳・18キロ)と散歩に出ようとスマホを見ると1件の不在着信がありました。近所に住む仲のいい友だちからです。折り返し電話すると「今日、散歩いっしょに行ってもいい?」「いいよ、いいよ」。むむ。何か思いつめているぞ。何か相談があるんだな。もしや病気か!?それとも家庭内不和か!?ドキドキしつつ、犬に引っ張られてあたふたしつつ、待ち合わせの公園に行くと、そこには真っ赤に目を泣きはらした友だちの姿。

 

「どうしたん?何があったん?」

「涙が止まらへんねん」

 

友だちの夫は単身赴任中、二人の息子のうち下の息子も就職して家を離れ、一昨日からひとりに。そしたら涙が止まらないというのです。夫にも息子にも依存しているつもりはなかったのに、自分がこうなるなんて…と。そ、そうか。な、なんだ。そんなことか。よかった。ほっとすると同時に寂しさを隠そうとせず、「泣く」というかたちであふれさせる姿になんだか胸を打たれました。とても柔らかく尊く見えたのです。「ああ、寂しがっていいんだ。寂しいってSOSを出していいんだ」…昨今は、一人の時間を充実させ、一人でも楽しく暮らせる生き方が評価されがちだし、確かにそれは立派なことなんだけど、そんなにすぐに適応できるもんじゃないんだ。子どもみたいに泣いていいじゃないか。

 

 

そうして59歳のわたしと52歳の泣き虫と、3歳のスー(犬)は、1時間ほどいっしょに歩いたのです。

 

 

家族がともに過ごす「にぎやかな時間」は、あっという間に過ぎていきます。わたしもまた、3年前に夫が倒れて植物状態になり、娘はシンガポールに就職し、一人と犬の暮らしになりました。「幻のようだ」、と家族3人で過ごした頃を懐かしく愛しく思います。

 

だれかとともに暮らした時代から、孤独とともに暮らす時代へ。ときに笑い、ときに泣き、ときに肩を並べて歩きながら人や犬や自然と「ともにある時間」を慈しみたい。そんな思いで、日々のことを書いていけたらいいなと思います。

 

※ブログトップのイラストは、イラストレーター中島慶子さんが描いてくださったわたしとスーです。慶子さんは、わたしが代表を務めるウェブマガジン「どうする?Over40」で、ファッション記事を連載中です。ぜひご覧ください。