「過去や未来でなく、今、この瞬間を大切に生きろ」と言いますし、「うん、そうだ」とも思うのですが、
いつものようにスーと散歩していて思うのは、
「今ってある?」
ということです。
まあ、スーと散歩するということは、犬もわたしも一歩一歩、足を前に出していくわけですが、
その「足を踏み出した瞬間」がですね。
どんどん、どんどん過去になるのですよ。一歩ごとに。あたりまえと言わないで。だって、本当にそうなんだから。過去になるスピードが速すぎてびっくりしてるんだから。「あ、過去になった、あ、過去になった」の繰り返し。
そこでふと立ち止まって桜の花を仰いで思うんです。(ああ、桜も散っていく!)
「過去」と「未来」の間に、ほんとに「今」ってありますか?
過去から未来への「動き」、その「動き」のことを「今」と呼ぶのかな。
…と、この年になって、人類の「哲学の萌芽」みたいな感覚に驚いていてすんません。きっと、このあたりのことは語り尽くされているのでしょうけど、歴史的に。
まあ、いいや。そんなことは。
今って、ないよね。ほんとに。
今、ってないよ。
「未来」も読んで字のごとく「いまだ」ないわけで、ということはですよ、
わたしたちって、どんどん増える(脳内の記憶としてだけ)過去をしょって、ヘッドランプを頭にのせたまま暗闇のなかをただただ動いているだけ?いじらしすぎる。もぐらみたいで!
「今」は、ライトに照らされる瞬間の「視界」ってこと?
たとえ、物理的に動かなくても時は過ぎるから、動くことからは逃れられないしね。
「今、この瞬間を大事にしろ」の「今」とは、「多少の過去と多少の未来」をざっくりとすくいとって「ここを『今』と錯覚して大事にしろ」ってことなのだろうな。
遠い過去と遠い未来を思うな、ってことか。
まあ、たしかに、確かに存在するのは(自分の脳内だけだけど)過去の記憶だけだから、どうしても、どうしても過去のことばっかり思いがちだもんなあ。それも、リアルに。鮮明に。いろんな感情をともなって。後悔とか未練とか、いろいろ!
ああ、こうやって書いている間にも「過去」という道が私の後ろに舗装されていく。
今はない。あるとすれば、「次の瞬間、どっちへ行こうかと決める意思」みたいなものかな。
桜の季節だけに、ホワ~ンとなる。
そして、つかめない「今」に泣きそうになる。だから、少しでもつかもうとしてこうやって書いているのか。
いや、ほんとに「時」ってなんでしょうね。死んでいった人たちは、どこに行ったんでしょう。
あ。
でも、「過去」だけが唯一、自分で解釈しなおしたり、忘れたり、許したり、切り捨てたり…と改変できるから、その「わたしが語るわたしの過去」こそが「今」なのかもしれませんね。
自分の過去を思い返して語るときだけに、立ち上がる「今」のわたし。
逆説的だけどね。
書いているうちに、そういう結論に至りました。そんなに間違ってない気がするけどわかりません。
ざっくり、ひっくるめて今を生きましょうぞ。
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