強がりとか負け惜しみに聞こえたらそれまでですが。

私と元彼君の関係は、私がフラれた形で幕を閉じました。
結果だけを見ると、皆私に同情してくれます。
でも最近とみに思うのは、私達はこういう結末しか有り得ない2人だったなと。
私達は交際中、何度もお互いを傷つけあいました。
表立って喧嘩をすることはなかったので、周囲も当人達も仲良しなように思っていましたが、決して交わることのない価値観をお互いに振りかざしては理解しあえず、密かに傷ついていました。
最後は彼の心変わりという裏切りにより別れたわけですが、彼を裏切りに走らせたのはそれまでの私の態度や価値観だったのでしょう。

ところでその人の性格にも寄るのでしょうが、フラレるというのはなかなかしんどいものですね。
元彼君と別れた後、拒食症とまではいきませんでしたが食欲がなくなり、食べても体重が増えず、1ヶ月で11キロ体重が落ちました。頭の上から足の先まで怒りに支配されていて、栄養が遮断されていたようです。フラレたことで自分自身が否定されたような、価値がないと言われたような思いがしました。
バカだなぁ自分。そんなわけないのに。
誰に否定されようが、誰かに拒絶されようが、私の価値はなんら変わらないのに。

例えばスプーンとフォークがあって。でも自分がこれから食べるのはスープだって時、スプーンを選ぶのは当たり前。そのシチュエーションに相応しかったのがスプーンだったと。ただ、それだけのこと。
例え選ばれなかったからといってフォークの価値を疑う人なんていないのに。

誰も私の価値を傷つけることはできず、
私も誰の価値も弾ずることはできない
フェアな話です。
ちらほら家族のことを書いていますが、私の父はモラハラ人で、そのために家族関係はイビツなものでした。
しかし、その表現方法こそ歪んだものではありましたが、父からの愛情を疑ったことはありません。他の家人からの愛情もそうです。
ありがたいことに、私は家族から沢山の愛情を注がれて育ちました。

ただ、あまりに当然に愛情を享受していたので、愛情に対するハングリーさが足らないのかもしれません。

漫然と愛情を欲しはするものの、自ら貪欲には求めない。求めないで済むと思ってる節があります。

ただ、愛情センサーは培われているので、相手から注がれる愛情がどういった類のものか無意識でわかってるようです。

例えば元彼君の場合、彼なりには真面目に愛してくれてたと思います。でもごく狭い地域で神童よ王子様よと育ってられてきた彼にとって、愛や奉仕や思いやりは与えられるものであって、必ずしも与えることは得意ではなかったのではないかと。
彼からの彼なりの愛情は、私が望んでいたそれではありませんでした。それを無意識に感じ取ってたからこそ彼を信じきれなかったし、プロポーズされても飛び込めなかったと。…まぁ、こういう噛み合わせの悪さを一言でいうなら「相性が悪い」ってだけなんですがね(笑)

それらを踏まえた上で。
先日、とある人から大人な意味で誘われました。
沢山耳障りの良い言葉をささやかれましたが、彼の目をみたら一発で「あー全然私のこと好きじゃないんだなー」ということがわかっちゃった(笑)
愛情を湛えた眼差しと、そうじゃない視線。全然違うんだなぁと、どん引きしながら眺めている自分がいました。
それを見分けられたことは、少しだけ自分の自信になった…かな?
逆に言えば、その程度のことで自信になるくらい、これまでの恋愛遍歴は偏ってたんだなぁと苦笑いした次第。

自分が好きと思える人
自分に合っている人
自分に必要な人

全部が合致してる人に出会えれば勿論一番の幸せだけど、
それぞれをちゃんと認識できていればそれだけでも人生だいぶ違うでしょうね。
少し前から、私の好きなブログ主の真似をして、心に留まった言葉をノートに書き付けてます。
本を読まない私は、歌詞や漫画の言葉ばかり(笑)
それだけじゃあまりに情けないと、本棚に申し訳程度に置いてある小説や伝記を紐解いてはチラホラ書いてるのですが、これがなかなか面白い。

「なんでこんな文章に感動したのやら?」とか、
「この頃はこんなことに悩んでたんだな」とか、読んでいた当時の状況が見えてきます。
ストックが尽きると新しく読んでみようという気も湧くし。

取り敢えず書き残しておきたい言葉は大体書いたなと納得いってから、改めて「歌詞や漫画」を見返すと、これもまた侮れない。
私は凝り性…というかハマり性のため、漫画や歌詞も何度も反芻した私的珠玉の逸品ばかりなんですよね。
読み返しては心がほっこりします。

落ちも何もない日記ですが、まぁ恨み辛みばかりでも心が歪みそうなので書いてみました(^^)